| ねえねえ知ってた? 平成十八年十月 |
平成18年10月31日(火)
10月もいよいよ今日で終わりですね。「今日は何の日?」とクイズを考える日々が始まって1ヶ月余り。朝一番に寝ぼけた頭を覚ますためにパソコンの前に座るのが日課となりました。それにしても、今まで自分がどれほど物事を知らなかったか痛感します。1886年の10月28日には、「アメリカ独立100年祭を祝い自由の女神がフランスから贈呈された」そうですが、その足下の銘板には、「フランスのフリーメーソンからアメリカのフリーメーソンに贈られる」というメッセージが書かれていたのですね。初代のワシントン大統領を始め、歴代のアメリカ大統領の半数はフリーメーソンの会員というのも、知ってる人は知ってるが、知らない人は知らない事実。マスコミが世論を動かしているように見せかけて、実はそのまだ奥で世界を動かす勢力がある・・世の中の仕組みは奥深い・・とサンサンてるよは感心するのでありました。また、1ドル紙幣の絵には「万物を見通す目」というフリーメーソンの象徴が書かれているそうです。ピラミッドの先端ね。![]() さて、ニューヨークの世界貿易センタービルが一瞬にして崩れ去ってより5年余り。日常の雑事に紛れて、あの衝撃の映像でさえ夢のような感覚になってきました。フィクションもノンフィクションも全てテレビの映像の中で体験する者の愚かさ・・世の中で起きることは全て自分にも責任の一端があると考えないといけないのに・・ 先日、京都の山田松香木店から届いたDMを開けると「千の風になって」というお線香セットが新発売!とありました。(30種類入り3000円、15種類入り900円)「千の風になって」というのは、同時多発テロから一年経った追悼式で朗読された詩が、新井満さんによって日本語に訳され曲を付けられ、有名になった歌です。私が初めてこの歌を聞いたのは母の葬儀の時でしたねえ。そしてまた、その歌がお香になって世に出てゆく・・「千の風」というお酒も発売されているとか・・年月の流れを感じます。 それにしても自由の女神は、あの時、何を感じておられたのでしょう?えっ、急いで避難したかったのに、身体が動かへんかったって?そら、あんなことあったら誰でも焦りまっせ。えっ、なになに?それに120年もずっと右手を挙げたままでしんどい?たまには横になりたい?ほんまにねえ、自由の女神が一番不自由してはりまんなあ。 あのねえ、サンサンてるよはん、あんさん政治問題を論じてる場合やないでしょうが・・来月9日までに落語を覚えんとあかんでしょ。ハイハイ、そうでした。でも昨日からちょっと風邪気味。ノドが少し痛うございます。身体を休めながら、のど飴をなめつつ頭の中で台詞を繰ることに致しましょう。熱はないので明日には治るでしょう。皆様もどうぞご自愛くださいませ。(追記) でもね、今日はとってもハッピーラッキーな日・・HPをご覧くださった方から嬉しいメールが・・(後でフロリダからと知ってビックリ!)新しいご縁の糸が今後益々輝いてゆきますように・・ |
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平成18年10月27日(金)
今日は、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日。1902(明治35)年の秋、ルーズベルト大統領は熊狩りに出掛けましたが、なかなかうまくいきませんでした。そこで、同行していたハンターが小熊に向かってズドーン。とどめの一発を大統領に撃ってもらうよう頼んだところ、「瀕死の小熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかったのです。同行していた新聞記者がこのエピソードをワシントンポスト紙に載せたのですが、翌年、ニューヨークのおもちゃメーカーが、熊のぬいぐるみにルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて発売したのが、「テディベア」誕生の背景のようですよ。 ちょっと待った!てめえ、小熊の命を救っといて、原爆で何十万人の命を奪うんかい!まあまあ、落ち着いて。原爆を開発したルーズベルトは第32代のお方で、フランクリン.D.ルーズベルトはん。昭和の話でっせ。テディベアは明治生まれ!でもこちらのルーズベルトはん、セオドア・ルーズベルトとは24才違いの従兄弟の仲。彼の姪と結婚をしているので、深い縁には結ばれているのです。でも終戦の4ヶ月前に脳卒中で亡くなり、副大統領だったトルーマンが大統領に就任。まあ、原爆投下を指示しなかった分、罪が軽くなって良かったかも知れませんね。「ルーズベルトが生きていたら、日本への占領政策も過酷なものになっていたかも知れない」とも言われています。 さて、セオドア・ルーズベルトに話を戻しますと、大統領就任中にしたことと言えば、 1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。一方で国内では反トラスト法を発動して独占資本を規制し、対外的には海軍力を盾にカリブ海政策を推し進め(棍棒外交)日露戦争後は艦隊(グレート・ホワイト・フリート)を日本に寄港させ強大化しつつある日本をけん制した。(ウイキペディアより) とまあ、難しいお仕事ばかりです。でも、ルーズベルト大統領、選挙の時には、ちゃっかりテディベアをマスコットとして使ったとか。欧米では、日本のように親子が一緒に寝ません。ですから、テディベアと一緒にベッドに入る子どもたちが多いそうですね。安らぎを与えてくれる象徴のようなもの。現在、日本でも日本テディベア協会という組織があり、世界の人たちと交流したり、福祉施設への寄贈などボランティア活動をされているようです。もしかして・・今でも私たちの心に残る業績と言えば・・「テディベア」だけだったりして・・セオドア・ルーズベルトはん、今頃「いやあ、クマった事だ。」と頭を掻いておられるかも知れません。 |
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平成18年10月23日(月)
ワタクシ、5月にギックリ腰になった際には、「笑わされることは拷問である」と痛感致しました。読者の中に「笑うと困る方」がおられてもいけませんので、今日は引き続き「泣く」テーマでお話を・・ 18日に「泣く事も健康法のひとつ」とご紹介しましたところ、お読みいただいた美しい女性が「ALWAYS三丁目の夕日」を推薦して下さいました。「余韻でいつまでも胸がジンジンしていました。」とのご感想。一体、どんな話とな?と早速DVDを買って参りました。(陰の声・・あんたねえ、最近ひとの名前が出てきいへんねんから、脳の活性化のために、DVDやのうて本を読み言うてんのに・・えっ、原作は「三丁目の夕日」ちゅうマンガやて?ほな、どっちゃでもええわ!)ジャケットの裏には、第29回アカデミー賞最優秀賞12部門受賞!!270万人が泣いた!!とあります。 早速、夕食後に子どもたちと鑑賞。最初は「これってコメディとちゃうん?どこで泣くのん?」と思うくらいおかしかったのですが、長女が申しまするに「安倍総理が就任後の会見で、『泣いた映画』として紹介された」とのこと。やはりドラマが後半にかかると、段々涙腺が・・後ろを振り向くと、子どもたちの目にも涙。詳しいストーリーはこちらを見ていただくとして、「なぜ心を打つのか?」と考えてみたのですが、 「目には見えないものを大切にする人たちが織りなす物語だから・・」 「決して恵まれた環境にはないのに、明るさや思いやりを忘れていないから・・」 後でいろいろ理屈は付けられるでしょうが、やっぱり泣かされましたねえ。中に、2号さんの子として育てられるも、10才くらいの時に母親に捨てられ、ひょんなことから赤の他人の物書きの男の人に預けられる男の子が登場しました。この男の子にも泣かされましたが、ふと、私が小学生の頃、家の向かいに住んでいた女の子を想い出してしまいました。確か私より少しだけ年下だったように思います。引っ越してきて間もない頃は、両親と弟の4人暮らしだったのに、気が付くとお母さんと弟はおらず、いつの間にか新しいお母さんが・・・そのお母さんに庭掃除や水まきなどいろいろな用事を言いつけられて働いていましたねえ。間もなく一家で引っ越しをされましたが、少し尋常でない様子に、なかなか気安く声をかけられませんでした。今は幸せに暮らしていたらいいなあ・・と思います。 江原啓之さんの本などに依ると「子どもは親を選んで生まれてくる」と書かれています。最近あちらこちらで、「どんな家庭環境に生まれようと承知の上・・」というスピリチュアルな見方が聞かれるようになりました。今では、彼らはそれだけ魂の足腰の強い人間なんだ!と思えます。「平凡な環境は前世ですでに経験済み。今回は難しい問題にチャレンジするぞ!」と選んで生まれてきたのかも知れませんね。 そう言えば、今月のたけしのアンビリバボーでも「前世や輪廻転生の話」がテーマでした。(アンビリバボーのHPで単語検索ができ、「前世」と入力すると放送の内容が見られます) 振り返れば、私が輪廻転生を受け入れたのは高校生の頃。辛い試練の中「今は彼らが私を誤解しているが、いずれかの前世では逆の立場だったのかも知れないなあ」と気付いた時、ストレスが和らいでいったのを覚えています。登校拒否にもならず勉強に専心できたのも、この考えのおかげ。また「自殺したからと言って安らかになるわけではない」と書かれた本に「どんなことがあっても自分で命を絶ってはいけないんだ。」と決心したことも・・ 実は、いずれも学校の帰りに、大阪は梅田の紀伊國屋書店に立ち寄り、見つけた本の中に書かれていた情報でした。今の苦しみの解決の助けになればという思いから、本を探していたんだと思います。そう・・自分ひとりの力では解決できない問題にぶち当たり、若き日のサンサンてるよ、小さな胸を痛めておったのでございます。(今でも小さいですが・・) けれども、一冊の本がストレスを和らげ、人の命を救うこともある。後に、ご縁があって、薬学部から葛I伊國屋書店へと就職先を決めたのも、こういう背景があったのですよ。もちろん、専門知識が必要な部署だったからですが・・お陰で、当時の松原治社長(現会長・CEO)を始め、素晴らしいご縁の数々を頂いたと今では心から感謝しています。そうそう、入社当時、紀伊國屋書店の新人研修では「書店は文化の発信基地か?!」ということについて真剣に議論をしました。書店の皆さんがただ単に本を並べるのではなく「読む方の幸せや成長のために・・」と願いながらディスプレイしてくださるから、必要な本との出会いがスムーズに行くのかも知れませんね。 余談ですが、私は一人っ子でしたから、人に相談するよりも本の中に必要とする言葉を見つけてきました。人生の岐路には、いつも本があったように思います。それやこれやで本屋には人一倍思い入れがあるワタクシ。今でも自分の必要とする情報が書かれた本は、前を通りかかると不思議と目が釘付けになって手が伸びてしまうのです。そして、あっ、これこれ!と、ついつい買ってしまいます。服や宝石には一切お金をかけませんが、本の道楽だけは止められない性分。皆様も、もしご事情が許すなら最寄りの紀伊國屋書店でお買い物を・・ 苦悩の高校時代から30年経ち、ワタクシも人生の折り返し点を過ぎた年齢となりました。私の場合、苦しみのノルマは人生の前半に済ませようとでも計画したんでしょうか。今は極楽トンボのような幸せな毎日を送っておりますので、本当に「春の来ない冬はない」としみじみ思います。ですから、イジメによる自殺のニュースを聞く度に、辛いですねえ。もう一踏ん張りして欲しかったと・・先日観た映画では「人間はその死後、生前為したことや思ったことが映し出される」様子が描かれていましたが、イジメる側もそういうことを知っていれば、自制が効くのに・・と残念です。日本の教育が、目には見えない世界をしっかりと見据えたものであって欲しいなあと思います。 |
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平成18年10月18日(水)
10月11日には、天満天神繁昌亭の昼の部公演が、インターネットで配信されているとご紹介いたしましたが、少し付け加えますと、月々1000円で昼の部約9席の落語が毎日見放題!(10月中は500円)繁昌亭のトップページの一番下「ライブ繁昌亭で動画配信」をクリックし、初めての方はこちら→ご購入はこちら→カートに入れる→利用登録・・と順にクリックして進み、eoネットIDを取得した後、再び、「ライブ繁昌亭で・・」から入り、ライブ繁昌亭を見るをクリックし、先のeoネットIDとパスワードを入力し、契約した通信速度に合わせて512Kか2Mを選ぶと、動画が出てくるという仕組みになっています。動画購入には、クレジットカードの番号入力が必要です。 ということで、サンサンてるよも土曜日から毎夜、パソコンで落語を鑑賞する日々。11月9日には、自作の落語を演じる勉強会がまたまた予定されていますので、やはり話の展開や声の出し方、仕草などに注意を払いながら見ております。 今日は桂小春団治さんが枕で水戸黄門の話をされていました。ふっふっふっ・・ここにも誤解をしている人が・・と思いながら聞いておりましたが、昨夜の枕では目からウロコの話が・・ 実は、家の中で使う電球。大体数ヶ月したら、フィラメントが切れて買い換えないといけなくなりますよね。けれども、メーカーの話によると、技術的には永久に切れないフィラメントを使って、無限に輝き続ける電球を製造することも可能であるとか。でも、もしそういう製品だったら、1個8万円くらいの高額な電球になってしまいます。すると、公衆便所の天井に付いている電球など、毎日盗まれることになってしまうので、電球は数ヶ月で切れる安い電気製品にしているとのこと。 そういえば、今日はエジソンのお命日。電球を発明された方です。彼は全世界からフィラメントに使う竹を取り寄せ、比較検討されたようですが、中でも京都は八幡市男山の竹が格段に品質が良かったそうです。竹の繊維を燃やすと、後に炭の糸が出来ますが、炭素は電気を通しますので光ります。普通の竹で作ったフィラメントが200時間ほどしか持たなかったのに対して、男山の竹は2450時間も輝き続けたとか・・私も先日、京阪八幡市からケーブルカーで男山に登ってきました。近くには石清水八幡宮があり、野鳥の声に満たされた癒しの空間。また猫ちゃんが人なつっこい・・そこにエジソン記念碑が建てられており、偉大な業績の数々に感謝を捧げて参りました。 あらら、話が横道に逸れてしまいましたねえ。繁盛亭のことですが、毎日、昼の部でも大入り満員が続いているとか。遠くから大阪にお越しのお客様が、数多く来られているそうです。笑いの大切さが、全国に浸透してきているのでしょう。良き社会現象ですねえ。 でも、笑いだけでなく、泣くことも大切なんですよ。涙は自分の意志ではどうしようも出来ない生理現象。最近、科学の力で、その神秘が段々明らかにされてきました。ひとつは、悔し涙と嬉し涙では味が違うそうですよ。 また、涙にはストレスを洗い流す役割があるんですね。まず、体内に多すぎると情緒不安定になる元素、マンガンを涙と共に体外に出してくれます。また、ロイシンーエンケファリンという脳内麻薬物質も含まれているのですが、この物質が鼻粘膜から吸収されると、鎮痛効果を発揮しリラックスを促し、ストレスから心身を守ってくれるのです。妻に先立たれた男性は長生きできないとという統計がありますが、男性は泣いてストレスを発散しにくいため・・とも言われています。ですから、笑いと泣きの両刀使いが、長生きの秘訣! ということで、最後に「泣ける本で健康になる」というHPのご紹介を!こちらもご参考までに・・ |
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平成18年10月15日(日)
昨日の「今日は何の日?」には「水戸光圀公が政界を引退した日」とありました。つまり「黄門さまが晴れてご隠居になられた日」だったんです!そこから、あのテレビでもご存知の八面六臂のご活躍が始まるのですねえ。何だか、うっかり八兵衛の「ご隠居!ここらで団子でも・・」という声が聞こえてきそう・・そして最後のクライマックス「ええい、この印籠が目に入らぬか!」思わず「そんなん入れたら痛いがな!」とツッコミを入れたくなる台詞!でもこの台詞があってこその水戸黄門だもの・・と想い出に浸っておりましたが、どうやらドラマは史実とはかなりかけ離れているようです。今日は、名前は有名ですが、その業績は世間で随分と誤解されている「水戸のご老公」についてレポートいたしましょう。 水戸光圀の本名は徳川光圀(1628-1700)。徳川御三家の一つ水戸徳川家の始祖・頼房(徳川家康の11男)の3男坊として誕生。6歳の時に兄を飛び越して次の藩主に指名され、34歳で第2代水戸藩主に就任。実は、光圀公、「天下の名君」と呼ばれるようになったのは、「悪者をたくさん懲らしめたから・・」ではありません。水戸の人々は、この殿様の業績を今でも誇りにしているそうですが、一番の業績は『大日本史』の編纂でしょう。18才の時に「史記」を読んでより歴史に目覚めた光圀公。藩主に就任する前に「史局」(後の「彰考館」)を江戸藩邸内に創設されました(1657年)。そして諸国の学者をここに集めて「日本史」を編纂。実は、水戸のみっちゃん、学者肌だったんでございます! それにしてもこの大事業、いつ完成したと思われます?なんと明治39年(1906年)。250年の歳月をかけて、ご老公の遺志を継いだ学者さんたちが日夜がんばられたのですね!これは莫大な人・時間・お金を必要とする事業を、国ではなく一大名が行ったという画期的なものでした。 さて、1690年10月14日、光圀は、兄の松平頼重の子、綱條(つなえだ)を養子として迎え、晴れて「ご隠居」になられました。実子の頼常は、兄の松平頼重の養子となり高松藩主に。元々、兄の代わりに自分が藩主に指名されたので、兄の子を養子にすることで仁義を大切にされたのでしょう。そして1700年には隠居所として造った西山荘にて、73歳の生涯を閉じられました。義を重んじられたご生涯、その死後に贈られた名前は「義公」とか。実は、「黄門」という呼び名は官職名で、中納言の中国での呼び名だそうです。また光圀は「天下の副将軍」ともいわれていますが、副将軍という役職はございません。水戸藩主は参勤交代せず江戸に住むことを決められていましたので、そういう背景から「副将軍」と呼ばれるようになったそうです。当時の5代将軍、綱吉が「生類憐れみの令」を出したことに猛烈な抵抗をしたのもご老公。ちなみに水戸の江戸屋敷が今の後楽園です。 その他にも、古墳を発掘調査したり、質素倹約をモットーに藩政改革をしたり、ものすごいパワーで駆け抜けられたご生涯。光圀公葬送の儀には、はてさてどんなナレーションが???と想像してしまいました。やはりBGMは、これしかないでしょう。 (陰の声・・そんなわけないでしょうが!) そうそう、印籠の中には何が入っていたかご存じですか?実は感応丸という漢方薬。その中の主成分は「牛黄」(ゴオウ)という、牛の胆石から作られた薬です。これが又、救心にも処方されている命を延ばす特効薬!人間世界では「こないだ、胆石の手術しましてん。」というような会話が聞かれますが、大体100人に1人〜3人の割合で胆石があるそうです。対して牛の胆石は、20万頭に1頭の割合でしか発見できない貴重品。ですから、金よりも高い値段で取引されているとか。胆石は脂肪分の多い食事が原因で出来るので、牛ちゃんは、やっぱり健康生活をなさっているんですねえ。 それでは最後に、黄門さまのことをもっと知りたい方のために、クイズのページをご紹介して本日のレポートを終えることに致しましょう。こちらをクリックしてくださいね。 |
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平成18年10月11日(水)
我が家から自転車で10分のところにある天満天神繁昌亭。9月15日にオープンしたものの、なかなか行ける機会がありませんでした。ところが昨日、大阪天満宮の近くで珠算を習っている末っ子を迎えにいく途中、桂三枝一門会が開かれると知り、初めて繁昌亭を体験して参りました〜!「鯛」「アメリカ人が家にやってきた」など、三枝師匠が創作された落語をお弟子さんたちが演じる会でしたが、落語の合間に大喜利があり、「私は魚介類の○○ですが、最近○○で悩んでいます。」というお題が出ました。若手の落語家さんが回答するのですが、「ボクはハゲ。床屋で『どんな髪型に?』と聞かれるのが困るんです。」といった答を出す遊び。その話を帰ってから子どもたちにすると、「はあはあ、じゃ、『ボクはカツオなんですが、叩かれてばかりで痛いんです。』みたいに答えるんでしょ?」と次女が早速、大喜利の実習を・・サンサンてるよも 「ボクはウニなんですが、服を脱ぐとタンスの中がかさばるので困るんです。」 「私は雌なのでカノジョなのに、カレイと呼ばれて怒ってるんです。」 「ボクは大トロ。脂肪が多すぎるからダイエットせい!と周りがうるさいんです。」 とまあ、いくつか考えてみました。 もうひとつのお題は、あいうえお作文。たとえば次のように文を続けます。 あいらしいボクのあの娘 いや〜〜ん、駄目よと言いながら うれしそうにはにかんで えくぼをほっぺにくっ付けて お・・・・ おの後は、そうですねえ。おいしそうにケーキを食べた・・とか(*^_^*) きっとダイエット中の彼女だったんでしょう。では、カ行、サ行、タ行・・どれでも結構ですので、皆さんも考えてみてくださいね。尚、繁昌亭では、昼の部の公演内容を、当日の夜8時から翌日の夜8時までインターネット配信しているようです。(毎日更新) もうひとつの初体験は、高気圧酸素カプセル。映画を観た帰りに歩いていて、偶然見つけたリラクゼーションスペースです。何と、あの早稲田実業の斎藤投手が、再決勝戦の前日も利用して疲労回復に役立てたという代物。ちょうど肩こりだったワタクシ、どんなものか試してみることに・・45分3150円のところ、時間がなかったので、30分2100円をお支払いして、大きなビニール製のカプセルの中に入りました。1.3気圧になるので、耳抜きを時々しないといけない以外は、ただ横になって深呼吸していたら良いだけ。脳の中に酸素がいつもより大量に入るせいか、目を瞑っても色が見えたり、イメージがはっきり浮かんだり・・最後の方は寝てしまいましたが、終わった後、何だか頭がスッキリした気分になりました。 ということで、サンサンてるよの初体験レポートでした〜〜〜! |
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平成18年10月8日(日)
毎日トップページの中で、「今日は何の日?」を青いスクロールの帯に更新するようになってから2週間が経ちました。佐藤栄作元首相にノーベル平和賞が授与されると決定したのも1974年の10月8日。 実は今日は、私の母の命日でもあるのです。点滴だけで2ヶ月も命を保っていることに、在宅医の先生が「あり得ない!」と首を傾げ、医者の集まりでしきりに話題になっていたそうですが、私が母と別れる決心がつくまで待ってくれていた親心に、今朝も感謝を捧げたサンサンてるよでございました。母の母、つまり私の祖母は、普通の主婦でしたが、あの世の霊が見える人だったようで、祖父のお葬式の翌日「今日でこの家ともお別れだなあ」というように周りを見渡しながら、おじいちゃんが後ろ手を組んで2階から降りてきた姿を目撃したとのこと。祖父が大好きだった私は、その話を母から聞いて「おじいちゃんはいなくなったわけではないんだ!」とようやく泣き止みました。そういう背景もあって、幼い頃より死後の生命を信じてきたワタクシではありましたが、やはり一番身近な肉親がいなくなることに心の底では抵抗していたように思います。母が亡くなる10日ほど前だったでしょうか。偶然、真言宗のお坊様のホームページに、福沢諭吉さんの次のような言葉を見つけたのです。それは私に、母の死を受け入れる決心を促してくれました。 世の中に父母ほど良きものはなし。父母より親切なるものはなし。 父母の長く生きて丈夫なるは子どもの願うところなれども、 今日は生きて明日は死ぬるもわからず。 父母の生き死にはゴッドの心にあり。ゴッドは父母をこしらえ、 父母を生かし、また父母を死なせることもあるべし。 天地万物、何もかもゴッドの造らざるものはなし。 子どもの時よりゴッドの有り難きを知り、ゴッドの心に従うべきものなり。 後に調べると、諭吉翁の「日々のおしえ」というご著書にある言葉だそうです。勝海舟と共に咸臨丸でアメリカに渡ったり、日本の近代化に力を尽くされた方が、このような考えを持っておられたと知り、目からウロコが落ちましたねえ。そう・・生老病死も大自然のエネルギーが流転する姿に過ぎない・・その流れを人間が堰き止めることは出来ないのだ・・と、理系人間のワタクシ、自分に言い聞かせたのでありました。それにしても、あの1万円札のおじさんが・・ゴッドを信じておられたなんて・・アメリカでキリスト教と接点を持たれたのでしょうか。いろんな研究資料も出ているようですね。 福沢諭吉さんからも大きな力をいただきましたが、実はこのHPの「落語を創ってみました」に収録してある「あの世からこんにちは」は母の看護をしながら書いたものなのです。当時、主治医から「もう長くないかも知れません?」と告げられていたワタクシ。あの世の人とおしゃべりできるテレビ電話があればいいなあ・・と心のどこかで願っていたのでしょうか。この落語もまた、精神安定剤の役割をしてくれました。 さて、母が素晴らしいお葬式で送っていただいてから2年が経ちました。この8月に夏バテで動けなかった時、母の葬儀の時のビデオを何気なくかけてみたら、いっぺんに元気が戻ってきたのです。きっと、温かい心が一杯詰まったお葬式だったからでしょう。ということで、夏バテは1日で終了。 振り返れば、この2年間、不思議なことがたくさんありました。母が亡くなって2ヶ月ほど経ったある朝、次女が起きてくるなり「ついさっき、ばあちゃんの声が聞こえて『最後にお母さんと過ごせて嬉しかったよ』と言ってた。」と報告してくれたのです。この次女も、どうも霊を関知する能力があるのか、一周忌には「ばあちゃんが着物姿で、部屋にいた。○○さんの横に最初に居て、移動して最後にお母さんと私の横に来た。」とか、昨年のお盆には「今日は黒地に花柄のブラウス、黒のパンツルックだったよ。」とか実況報告してくれたのです。また、今年のお盆には「ばあちゃんの服、最初去年と同じだったから『また同じ?』と聞いたら、突然白のドレスに変わった。」というおもしろ発言。更には、「しっかり勉強しなさいね。」と耳の痛いことも言われたとか・・そうそう、葬儀の際には、紫の着物姿で遺影の上当たりに浮かんでいたと、長女も次女も言ってましたねえ。それやこれやで「ああ、元気にしているんだ。」と今では安心していますが、臨終を迎えるまでの時間はやはり緊張が続いたものです。ですから、「案ずるより産むが易し」は、こういうケースにも当てはまるかも?うん?「案ずるより死ぬが易し」・・かしら? 母とは独身時代、あちこち旅行に行ったものでしたが、そう言えば、映画も時々一緒に行きましたねえ。先月亡くなられた丹波哲郎さんが製作した「大霊界」も観ました。1989年の松竹映画です。ご子息の丹波義隆さん演じる主人公が、交通事故で霊界に行く場面から始まっていたように記憶しています。その丹波哲郎さんが、亡くなられる少し前に試写会に行かれて「大霊界を描き切った作品!」とコメントを遺された映画が上映中と知りました。しかも自作の落語「あの世からこんにちは」に登場する霊界通信テレビに似た機械が登場するというではあ〜りませんか!ということで、早速友人と観て参りました!その映画とは東映のアニメ「永遠の法」時は近未来。科学部の高校生が、霊界通信機を開発し、エジソンに会いに霊界に旅立つというストーリー。エジソンと言えば、蓄音機や電球、映画フィルムなど1000件以上もの発明で有名な方ですが、何と、晩年は「霊界通信機」の開発に取り組んでいたと知ってビックリ。知られざる素顔ですね。「こんな機械があったらいいな。」と考え、エジソンは早速設計に取りかかり、サンサンてるよは落語を書いた・・その才能の天と地の落差を感じながら、最新のVFXが描く霊界を堪能してきました。霊界とは「煌めく光の世界」だったのですね!中でも、天国では異なる宗教の人同士でも仲良くおつきあいしていることに感銘を受けました。こういう事実を知れば、宗教の対立に基づくテロも無くなるのに・・さだまさしさんの「道化師のソネット」の2番には ♪僕らは別々の山を それぞれの高さ目指して 息もつかずに登って行く 山人たちのようだね♪ という歌詞が出てきますが、宗教や宗派の違いは ♪僕らは同じ山を、別々のルート使って 腹式呼吸しながら登る 山人たちのようだね♪ みたいなものかも知れません。どのルートを通るか?何合目まで導くか?によって、見た目の個性の違いが現れるに過ぎないのでは?そんなことを考えさせられました。また、天使の皆様が実際にどんなお仕事をされているのかも・・私たちに見えないがゆえに感謝されなくとも、淡々と人々の安寧のために働かれている様子に涙が流れました。 いつかは本当に霊界通信機が発明されるかも知れませんね。まあ、我が家では、性能は悪いものの、次女が母専門の霊界通信人の役目をしてくれているので、今のところ不便は感じておりません(笑)8月29日には、佐藤愛子先生の話を綴りましたが、母は言ってみれば、私にとっての遠藤周作先生。あの世に行っても世話のかかる娘ですみませんねえ。この御礼は、またワタクシがそちらに帰った際に十分にさせていただきますので、今しばらくお待ちくださいませ。 今日は三回忌ということで、何か記念になるものをと大阪の一心寺の近くを散策していましたら、骨壺・・と言っても、芸術的な美しいガラス製のものや、ペンダント型、卓上モニュメント型など、珍しい骨壺製品を置いてあるお店(手元供養専門店の方丈)を発見。その中で、故人の骨の中に含まれる炭素(C)を使って人工ダイヤに仕上げるというサービスまであることを知りました。はあーーー、世の中進歩の著しいこと!このような専門店は全国でここだけのようです。同行した娘たちに「お母さんの時は、ここで選んでね。」と思わずリクエスト。 ということで本日は、サンサンてるよの霊界レポートでした〜〜〜! |
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平成18年10月3日(火)
数ヶ月前、私が訪問するMAMADIARYで「笑壺」という言葉に出会い、そこから「メガミの笑壺」というゲームソフトがあることを知りました。ゲーム感覚で、漫才のツッコミの極意を学んでいくソフトです。子どもが持っている任天堂DS用のソフトを最近ようやく購入し、慣れない操作に四苦八苦しながら、少しづつステージを上がっていっているところ。ツッコミを入れる以前に、ソフトを機械に入れ、電源を入れ、操作方法を頭に入れ・・と事前の準備の方が大変。でも、冗談が通じなかった時ほど、ガッカリすることはございません。「もしかして、ここでツッコミを入れて欲しいのかな?」と相手の気持ちを素早くキャッチし、すかさずボタンを押すという訓練。共感力を磨くひとつの手段になるかも知れませんね。
9月28日の産経新聞夕刊に、「究極のユニーク披露宴」という記事がありました。新郎新婦がマイクの前に立って「夫婦漫才」をしている写真が載っています。これは、ホテル日航大阪が、この春から始めた新しいサービス。新郎新婦の馴れ初めなどを伺って構成作家が台本を書き、披露宴当日に2人で漫才をするという企画です。大阪ならではの発想ですね。6月に第1号カップルが生まれたようで、夫婦漫才の中身はこちらで少しだけ観られます。ワタクシも多くのストレスのお陰で「何事も深刻にならない裏ワザ」が身に付いてきましたが、どうぞこれからもご夫婦でボケとツッコミの技を磨いてゆかれますよう、祈っております。 さて、この7日には5時半頃から見事な満月が観られます。(晴れたらいいですね!)先ほどのご夫婦、漫才の中で「早速子どもを・・」と宣言しておられましたが、出産が増えるのも満月の頃。それは、月の引力が最も強くなり、身体の各組織に影響があるためと言われています。また、満月の日は、普段よりも水分に栄養素、薬物、サプリメント・・何でも吸収しやすくなります。薬物の効果も現れやすいけれども、「最も太りやすい日」とも言えます。ですから、アルコール類もお控えくださいませね。それ以外にも、いろいろと注意点があるようです。 ☆満月の日は出来るなら外科手術は避けた方がよい。 出血量が多く、傷も治りにくいため。 ☆ワクチン接種も、満月の3日前から満月当日までは避けた方が良い。 ☆ホルモンバランスが崩れるせいか、発作的・攻撃的な感情が起きやすく、 事件が増える。イライラした時は、満月のせい・・と気にしないこと。 とすると、重大な決断は満月の日にはしない方が良いのでは? <月夜のプロポーズ> 彼氏「ボクは君と出会った瞬間、『ここで会ったが百年目』だと思ったよ(*^_^*)」 彼女「あのねえ、私はあんたの仇か!」 彼氏「いや、その・・余りにも衝撃的な出会いだったと言う意味なんだ。 ボクのハートは居合い抜かれたんだ!」 彼女「それを言うなら、『射抜かれたんだ!』でしょうが・・」 ここ十年ほどは「ゆとり教育」のせいで、四字熟語や慣用句・ことわざを使いこなせない若者が増えているとか・・漫才や落語も、国語力が無いと笑えないものが多いですからねえ。たとえば、落語の「平林」は「たい〜らばやしか、ひらりんか」で悩むのがテーマ。オチには慣用句やことわざのパロディが使われたりします。演じる側にとっても、お客様のボキャブラリーが少ないと、笑わせようがありません。笑うためには、英語よりもまず日本語が必修科目。ほんと「ゆとり教育」は「心の健康」のためにも大きな損失なのです。ましてや、人生の一大事に言葉を知らないがための大ボケは禁物。軽くツッコミを入れて笑って済ませてくれる彼女なら良いのですが、先の彼氏、この分では女性に振られれそうですね。(何やねん、振られれそうて・・と相方が言い間違えてもツッコむのが作法。) そうそう、今日は、漢字の練習もそこそこに遊び呆けている小3の我が息子の愚行に遭遇し、カメラを持つ手が震えてしまいました!日曜日に途中で雨が降ってきて、残った種目は今日になったのですが、競技が終了し、自分の属する赤組が優勝旗をもらう時、全身で喜びを表していたまではヨカッタ。次に、ライバルの白組が表彰される時、何を思ったか、自分の帽子を裏返して白に変えたのです。紅一点ならぬ、白一点!一番前に並んでいるので、目立つの目立たないの!担任の先生があわてて走ってきて、赤に戻しておられましたが・・「あんたは、コウモリか!」と思わずツッコミを入れた母でありました。ヤレヤレ・・でも、「競技が終わったら、もう敵も味方もない!」という意味だと、善意に解釈しておきましょう。 |