ねえねえ知ってた? 平成十八年二月


  
平成18年2月23日(

  
学生時代は科学読み物が好きで、文学にはとんと縁のない私に、大阪高級葬儀
久世社長が、心強い文章のお師匠さまをご紹介くださいました。「空飛ぶ水冠」という法衣と法具のHPを創っておられ、その中で「迷いの窓」というコラムを書かれている函館の女性です。弓道に香道、水引作りなどを嗜まれ、小さい頃から文学少女であられたハンドルネーム「水冠」さまのコラムには、書き方のお手本にしたい文章が揃っており、私のお気に入り。その「水冠さま」に、この度「茨木のり子」さんという詩人をご紹介いただき、早速、本屋に直行しました!大阪府のご出身で、この19日、79才で亡くなられた方ですが、このような感性溢れる詩人が同郷におられたと知り、目からウロコが落ちました。落語もリズムが命。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と言う叱責に、これから詩人たちの言葉に対する感性を学ぼうと襟を正しました。たとえば、「寸志」という詩の一節を抜粋しますと・・
                (略)
        アーチャンと母を呼んだのが
        日本語発した最初だったらしいが
        その時 仁義は切らなかった
       <これより日本語 使わせてもらいます>とは
        相続税も払わずに
        ごくずんべらと我がものにした
                (略)
        わたしの語彙がいま何千語か
        何万語なのか計算できないほどなのに
        どこからも所得税はかかってこない
                (略)
        母国語に
        しみじみ御礼を言いたいが
        なすすべもなく
        せめて手づくりのお歳暮でも贈るつもりで
        年に何回かは
        詩らしきものを書かなくちゃ
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相続税も所得税も払わずに日本語を使わせていただいているのだ・・・という
鋭い発見に脱帽した次第!・・ということで、小噺を一席。
日本語「茨木のり子はんって、嬉しいこと言うてくれはるやないですか!
     お歳暮やなんて・・なあ、英語はん。」
英語 「日本には、殊勝な心がけの人が居てはりまんなあ。
     うらやましいですわ。」
日本語「何言うてまんねん。ほとんどの日本人は、ワテに感謝なんか
     しまへんで。作家なんか、ワテでぎょうさん儲けてるのに、
     ワテには一円も入りまへんわ。」
英語「それは、ワタイも同じでっせ。男性は「アイラブユー」とか言うて、嫁を
     ゲットしてるのに、ワタイは万年独身ですわ。
     不公平やと思いまへんか?日本語はん。」
日本語「ほんまほんま、結婚が成立するたんびに、手数料もらわな
    あきまへんなあ。」
英語 「これから言葉にも、消費税かけまひょか?」
日本語「そうでっせ。ところで、英語はん、あんさん、何で日本語をしゃべって
    はりますのん?」
英語 「何でて・・・『英語』は日本語でんがな。」
(追伸)水冠さまには、HP公開前からモニター読者として感想や貴重なご意見を
    頂戴し、この場をお借りして再び感謝申し上げます。
    これからも楽しいメル友でいてくださいね。
  
平成18年2月18日(

  
私が、最近訪問させていただいている「出たとこ勝@負ログ」に「笑いと健康学会」が設立!との話題が載っていました。(2/17付け)11年前には「日本笑い学会」が設立されましたが、当時は、まだ「笑いの効用」が世間に知れ渡っていなかった時代。昔は低く見られていた笑いがクローズアップされるようになり、嬉しい限りです。けれども仏教では「笑いの価値」は、とうの昔から認められていたと知り、目からウロコが落ちました。
 たとえば、梅原猛先生の『空海の思想について』には、空海の書「吽字義」(うんじぎ)に触れて『・・・空海は三世諸仏の大声の笑いを聞いていると思う。世界の諸仏は大笑い、とりわけ、大日如来が大声で笑っている。空海も共に笑って、笑いによって大日如来と一体になっている。・・・私はこの笑い声の愛好者としての空海を心から愛するものである・・・』という記述があります。仏と一体とは、科学的には「心の栄養分でもあるエネルギー(宇宙に充満するエネルギー)を体内に取り入れることだ」とも解釈できるでしょう。ラジオのチューニングの原理と同様、古より仏と呼ばれてきた存在の出す波長と同じものを、まず自ら発信することが、大切なのですね。封建社会の中で、そして廃仏毀釈などによって、仏教の智慧が徐々に失われてきたのでは?今再び、古の智慧を蘇らせたいものです。
さて、早くから笑いの効用を知っておられた空海さまでも、チョコレートのことまではご存じなかったことでしょう。ここで、出来たてホヤホヤの小噺を・・・
バレンタインデーに、マリア様から送られてきたチョコレートを前に、偉いお坊さん方が話し合っています。
  空海「この茶色くて固いものは何かのう。長安でも見たことがなかったが・・
      のう、親鸞どの」
  親鸞「このような得体の知れぬもの、ワシャ、シンラン。」
  空海「では、道元どの、お手前から、クウカイ?」
  道元「このようなもの、ドーゲンして食べるのであろうか?!
     うーん、天ぷらか、酢の物か?」
  一遍「では、私がイッペン味見をしてしんぜましょう。
     おお、これは何とも言えず、まろやかな甘さ・・」
  法然「どれどれ?ほんにほんに、ホーネンの髄までとろけるようじゃ。」
 そこへ、イエス・キリスト様がご登場。
  キリスト「あっ、日本の僧侶たちがチョコレートを食べている!」
  一同「えっ!キリスト様、これは『チョコレート』という名前の食べ物
      だったんですか?」
  キリスト「イエス
 そこへ、お釈迦様がご登場。
  釈迦「皆さん、どうされたのですか?」
  一同「マリア様がこのようなものを下さったのですが、キリスト様によれば
  『チョコレート』と申す甘い食べ物だそうです。」
  釈迦「そんなことも知らなかったのですか?私など、とうの昔にシッタールタ。」

宗派が偏らないよう努力はしたのですが、無理なダジャレになるのを避けるため、その他の宗祖の皆さまには、今回ご登場いただけませんでした。申し訳ございません。
でも、偉大な方々で遊んでしまって・・サンサンてるよに仏罰が下らないことを祈りつつ・・アーメン
  
平成18年2月13日(月)

  
明日はバレンタイン。デパートでたくさんの女性の姿を見かけることからすれば、この国の男性は幸せと言えるのでしょう。
1936年に、日本で初めてモロゾフが「バレンタインにチョコを」という広告を出してから、今年でちょうど70年目。当初は、外国人向けのものだったとか。実は、チョコレートが日本で最初に発売されたのが、明治8年のこと。けど、明治製菓と違いまっせ。東京両国の米津風月堂というお店です。人々は茶色の固まりを「牛の乳が入っている」を「牛の血が入っている」と勘違いして、口にすることをためらったそうです。牛乳や牛肉への抵抗や迷信があった時代ですものね。でもその2年前、岩倉具視、大久保利通・津田梅子らヨーロッパ使節団は、チョコをフランスで食していたとか・・さすが、先進的な考えの方は違いますね。大正時代でも高級品、戦後になってようやく庶民のおやつになってきたようです。

 ところで、最近、カカオ含有70〜80%のビターチョコが健康に良いと店頭で良く見かけます。たとえば、喫煙者の心臓を守る働きがあるとか・・でも、カカオの中のテオブロミンという物質には、興奮作用があり、犬や猫、鳥などの動物が大量に食べると危険だそうです。ですから人間の場合もほどほどの量で・・
 さて、チョコと健康の関係を調べていて、ドキッとするようなHPに遭遇。世界の現状を学ぶ格好の資料だと思ったのでご紹介しますね。「お茶の間から世界を変えよう」の中の奴隷解放チョコレート。21世紀に奴隷なんて・・と思っていましたが、悲しいことに、私たちが口にするチョコの中には、全てではないでしょうが、アフリカの子どもたちが奴隷同然で働いて作ったカカオ豆が含まれているのですね。ウソの報酬に騙され、ある子は親を助けんと、ある子は親に売られて、毎日殴られながらの重労働。チョコレートという甘い菓子がこの世に存在することも知らず、おそらく一生口にすることもなく、過酷な条件の中で健康を損ねてゆく・・一方で、そのような子どもたちの存在さえ知らず、健康に良いとチョコを求める私たち・・同じHP内の、テロよりも恐ろしいものとはの統計数字もギョッとするものでした。世界はまだまだ幸福ではないという現実を、突き付けられた気持ちです。
 何だか、カカオ含有85%チョコレートのような堅い話になってしまいましたね。
ここらで「生チョコ」のような話題に変えなくては・・
 「ちょっとサンサンさん、ほんまにもう、こないな話して、もうバレンタインデーに
 縁がない人のやっかみと違うん?」
 「何言うてんのん!恋する気持ちは忘れたらあきまへん。けど、年齢を重ねると『大切な
 方のご縁につながる人は、みーんな大切』に思えて、若い子みたいに、二人だけの
 世界に浸るような真似はせえへんだけ!女性は年と共に愛が拡大してゆくねんでえ。」
 「何を小難しいこと言うてんのん。ほな、若い頃には、二人だけの世界に浸るような甘い
 体験があったとでも言うのん?」
 「・・・・・・・」
後にも先にも、そういう経験がないであろうワタクシは、今日も落語を聞くのであった(^_^;) およそバレンタインなどには一生縁がなさそうな男女が、落語国にはたくさん登場します。ああ、癒されるわあ。 最後に、夜の地球を眺めると、こういう風景になるそうです。
2月14日の夜に「愛の灯火」が点るのも、やはり先進国だけなのでしょうね。 そうそう、ワンクリック募金のHPにも遭遇。この機会に世界情勢にも目を向けようと思いました。

(追伸)
日本でのバレンタインデーの由来について、モロゾフの広報担当者の方が
親切に答えてくださいました。 疑問に思ったら、解決せずにはおられない私のメールに、早速お返事くださり、本当にありがとうございました。
弊社が日本にバレンタインデーを初めて紹介してから今年で70年を迎えました。バレンタインデーとの出会いは、戦前、当時のオーナーが親しくしておりましたアメリカの新聞記者から「欧米では、バレンタインデーというキリスト教の記念日があり、花束やカードやチョコレートをお互いにプレゼントする習慣がありますよ。」と教えられました。当時、日本にも欧米の方がたくさんおられ、、弊社はチョコレートを販売していましたので、1936年2月12日に、英字新聞「ジャパンアドバタイザー」に在留外国人向けの広告を出しました。広告の内容は「バレンタインデーにはモロゾフのファンシーチョコレートを」というものです。これが弊社とバレンタインデーとの出会いでございます。
  
平成18年2月8日(水)

  
敬老の日は、単なる休日であってはならない!と、今日はつくづく納得させていただきました。ご近所に住まわれるおじ様。戦後は、ずっと司法書士の仕事を続けてこられ、数年前より、悠々自適の生活。けれども、このおじ様に、今の若者には真似のできない武勇伝があったと知り、目からウロコが落ちました。
 仮にO氏と呼ばせていただこう。時は、昭和20年5月29日。O氏19才。戦局はいよいよ厳しくなり、硫黄島を占領した米軍は、度々大挙して東京上空に襲来するように・・ある日、B29やP51の大群がやって来たのを邀撃すべく、O氏が所属する戦闘機隊36機の零戦は、次々に百里基地を飛び立って行った。敵機は300以上。1機で10機を相手に戦う計算である。後ろの方を飛んでいたO氏。ふと別の敵機集団がはるか後方に回り込んでいることに気が付いた。このままでは、挟み撃ちに会う。味方に手先信号で知らせるも通じない。一刻を争う状況の中、ただ独り向きを変え、敵機集団目がけて突進していった。というのは、乗る予定の零戦がエンジントラブルで、予備機に急遽乗り換えるも、無線機がはずされていたからだ。最初、蜂の集団のようにしか見えていなかった敵機も、もう早や眼前。激しい銃撃戦が始まった。敵機が白煙をひいて降下してゆく。突如、機関銃弾のひとつが前のエンジンに当たり、燃え上がった。機内は目も開けられぬほどの熱さ。そこで風防コクピットの屋根を開けようとしたが、風圧でビクともしない。このままでは、焼け死ぬのが先か、墜落死するのが先かという状況。しかし、押そうが引こうが、どうしても屋根は開かない。「ええい、もういい。潔く死んでやれ。」機内であぐらを組むと、座禅を始めたO氏。すると、不思議なことに全身の痛みが無くなり、何とも言えず快い気持ちに。「ああ、これが極楽か!」と夢うつつになったと言う。そこへ、今度は後ろから、機関銃が・・左足に激痛が走ったかと思うと、突然、コックピットの屋根が開き、空中へ放り出された。パラシュートも開いて、どうやら着地したようだが、意識は朦朧。パラシュートが風で動くたび、地面を引きずられ、全身に激痛が走った事だけは鮮明に覚えているそうだ。後に、目の玉以外は包帯で覆われていたことから、全身に火傷を負っていたことを知る。
 収容されたのは、成田山の境内にある旅館を、海軍が病院として接収していたところ。入隊したての頃、トイレ掃除をしていたら、何でも早くしないといけない軍隊生活のこと、成田山のお守りが落ちている事も多かったそうである。「もったいないと拾って、保管していたお陰かな?それにしても、二回目の銃撃が命を助けてくれるとは・・」と笑っておられたお顔が印象的だった。小さい頃から海軍のパイロットに憧れ、自ら志願し16才で入隊。敵機襲来の時には、「戦死したばかりの兄貴の敵討ちだ!」という思いもあったそうである。その後、二人の息子さんのお父様となられ、今では二人のお孫さんの良きおじいちゃま。それにしても、生命の危機の真っただ中にあって、座禅を組むとは・・
もう決して戦争があって欲しくはないが、
「ああ、日本では若者よりも、おじいちゃまの方がカッコイイー!」
  
平成18年2月6日(月)

  
先日、美容院で、「これ、ウチのお客様の知り合いの方が書かれたんです。」と紹介されたのが「関西弁で愉しむ漢詩」(桃白歩実著・寺子屋新書)。高校時代、古文漢文大嫌いだった私が、思わず親しみを覚えるような超訳に、笑ってしまいました。たとえば、陶淵明の帰去来辞の一節「帰去来兮 田園将蕪胡不帰・・」は「さあ、帰ろか〜田舎の田畑は荒れ放題や、これは帰らなアカンやろ・・・」といった具合となり、李白の三五七言の中の「相思相見知何日」は「好っきな子に会えるんは、いつになるんやろか」といった調子に変わる。こういう大阪人の「既成概念や慣習に囚われず、自己の世界を追求する精神」が私は大好き。オンリーワンの技術やサービスを持つ関西の経営者の方々にも、それを感じます。物差しが他人の眼ではなく、自分の心の中にあって・・でも、決して私心ではなく、公の幸福を追求する精神性が強くて、その先見の明ゆえに、初めは他人からイロイロ言われるけれども、結局世の流れは彼らの予見どうりになってゆくのですね。

 ところで、「経営」という言葉、実は仏教用語だったと知って、目からウロコが落ちました。「お経を営む。つまり教えを実践する。ひいては、凡人を仏の位に導く営みのこと」だそうです。最近の仏教ブームの影響か、先日、子ども向けのNHK教育番組で、仏教クイズをしていました。日頃、何気なく使っている言葉には、仏教に由来するものが多いとか。「旦那」「ひどい!」「ガタピシ」「シャカリキ」の意味を問うクイズでした。落語にも、大旦那さまや若旦那が登場しますが、旦那は金品を布施する人(サンスクリット語ではダーナ)のことなので、巷でよく聞く奥さんの愚痴「ウチのダンナはロクデナシで・・」を、仏教的に翻訳するなら「私に金品を下さる方は、異常です」と何とも罰当たりというか、チグハグな意味になります。(ちなみに、ろくでなしは陸でない=平らでない→正常でないという意味)また、「ひどい」は非道い、「ガタピシ」は我他彼此(自と他、あれとこれを区別して考えることで摩擦が生まれること)シャカリキは釈迦力(お釈迦様のように、人々を救うために力を尽くす様子)が、元々の意味ですから、シャカリキに泥棒稼業に精を出すなどと言う表現はおかしいのですね。ふーん、そうだったんだ!知らずに使っていると、「I  am a nice boy 」とか「Pretty Girl」とか英語で書かれたTシャツを着て、アメリカの街を歩くような恥ずかしい状況になるのですね。文部科学省に言いたい!英語よりも、ちゃんとした日本語教育をしてちょうだい!そうそう、仏教おもしろ語源クイズなるものを見つけました。ご興味のあられる方はこちらから。
  
平成18年2月1日(水)

  
創作落語「まいど市役所でっせ」を昨日アップしました。関東のお方を笑っているようで申し訳ないので、補足しておきますが、御堂筋の拡充・地下鉄導入・大阪城の再建・そして、職業紹介所・市営住宅・共同浴場・共同宿泊所・児童相談所等、様々な公共事業を全国で初めて行った関一市長は東京のお方(生地は静岡伊豆)。大阪城などは、徳川綱吉の時代に雷が落ちて焼けて以来、200年近くそのままだったのを、関市長が財閥や市民に呼びかけ、多額の寄付を集め再建されたとか。この方なくして大阪は語られません。大阪出身でもないのに「どうしたら、大阪の人たちが幸せに暮らせるか?」と考え抜かれた生き様を、私は「大阪のDNA〜大阪は庶民の心意気がつくる町(LEVEL)という漫画で、読みました。淀屋橋を架けた方、道頓堀を作った方の話も載っていて、私財を投げ打って街づくりにかけた先達の心に「究極のサービス精神」を感じました。
 大阪は、政府の財源に頼らず、都市開発を進めてきた街。「自分たちの町は自分たちで創り上げてゆく」という意識を、昔の大阪の人々は持っていましたが、私たちの世代にも 「大阪を愛する心」を復活させなくては・・・こんな風に「これから、こういう事業をしますが、賛同下さる方は、この指止〜まれ!」方式でお金を集めると、何がニーズに合っているかよくわかり、税金の無駄使いも減らせるのでは?紅白歌合戦の投票みたいに、電話やインターネットで投票するとかしてね。

 
  さて、大阪弁って、テレビの影響で荒っぽく感じておられませんか?でも本当は相手への思いやりに満ちた言葉なんですね。一口に大阪弁と言っても、いろいろありますが、特に船場の言葉は京都の言葉に似ています。たとえば、「おあげさん」 「お豆さん」 「お月さん」「お天道さん」食べ物でも何でも「お」と「さん」を付けるのは、公家言葉の影響と知って目からウロコが落ちました。大阪夏の陣以降、さびれてしまった船場界隈を復興させるため、徳川幕府が、京都の伏見商人を町ごと移住させたことから、京風の言い回しが大阪中に広まったとのこと。(そういえば伏見町というところが中央区にあります)「冷や水」は「おひや」、「饅頭」は「おまん」、「おみあし(足)」は「おみや」・・となるのもその一貫。応仁の乱で京都が焼け野原になり、公家たちが大阪に引っ越してきた背景もあるようです。大阪と京都は切っても切れない仲なんですね。 (参考「ほなぼちぼちいこか大阪弁」前垣和義著