ねえねえ知ってた? 平成十九年三月 |
平成19年3月23日(金)
先週のこと、知人が引っ越し先を探しているとのことで、近所の不動産屋さんを紹介。数日前、良いところが見つかりそうとの報告をいただきました。そう言えば、私も7年前までは、売りマンションのチラシを集めて、あちこちのオープンルームを見に行ったものです。というのは、55u2LDKから始まった結婚生活。3人目の子どもが2歳になった頃にはもう限界。4LDKの部屋はないかと、あちこち探し始めました。そんな中で勉強したことが・・・それは、新築マンションやリフォーム直後の部屋なら、塗料の臭いで頭痛がしてくるのですが、リフォーム前であっても、頭痛がしたり、やたらイライラしてくる部屋が多いということです。立つ鳥跡を濁してグチャグチャの部屋はもちろん、キレイに片づいていても、胸騒ぎがして、「ここには住みたくないな。」という感じがするのですね。ある部屋に入って説明を聞いていた時のこと。私の左の腰に目には見えない何かがドンとぶつかったかと思うと、終日痛みが取れなかったこともありました。後でわかったのは、数ヶ月前、その部屋で飼っていた犬が亡くなっていたこと。もしかすると、サンサンてるよ、侵入者と判断した犬の幽霊に噛みつかれてしまったのかも知れません。そうそう、以前、近所に引っ越してきた方が「家に帰ると、付けていないテレビや電灯が点いていて気味が悪い。」とまた引っ越してゆかれましたが、こんなウチには当たりたくないものですね。 それにしても、どうして部屋に入っただけで、嫌な気分になるのでしょうか?人間は家に戻ると、たいてい仕事用の顔から、素顔に戻ります。仕事のストレスを家で発散することも多いでしょう。或いは、家庭内にケンカが絶えないケースも・・ですから、そこに人間、犬、猫などの幽霊がいなくても、前に住んでおられた方々の思いが残っているからではないでしょうか? 尤も、私の場合、電話用の声と家族用の声、そして外の顔と内の顔に、それほど大きな差はないかな?と自分でも思うのです。もちろん、相手の方のしゃべり方に合わせたり、大阪弁で話せないケースもありますけどね。家でも外でも、できるだけご機嫌に過ごしておりますねえ。(でも、タミフルを飲んだ後は喜怒哀楽が激しく、異常な精神状態になったことはありましたよ。使用が制限されてヨカッタ、ヨカッタ!) まあ、それもこれも、マンション巡りを通して「空間は、人間の思いを記憶するのではないか?」と考え始めたおかげ。決して自慢で言うわけではありませんが、家に遊びに来てくれた友人たちが「落ち着く〜」とか「くつろぐ〜」とか言ってくださるので、ホッと胸をなでおろしているのです。そのためには、マイナス想念の総量を上回る良き思いを出す努力が必要。感謝できることを、無理やり見つけてでも感謝する・・縁ある方々の幸せを願う・・それは、決して単なる自己満足ではなく、目に見える行為以上に大切なことかも知れませんよ。部屋の環境整備は、何も掃除機でゴミやほこりを吸うことだけではありません。心のまき散らすゴミを少なくし、空間を居心地良いものに保つ・・そういう努力も又、おもてなしの必須条件と言われる時代が来るかも知れませんね。 ところで、それぞれの家に送られてくる電気。発電所でどのように作られているか、ご存じですか?こちらのサイトがとてもわかりやすいのでご覧下さいね。簡単に説明するなら、磁石を高速で回転させると、隣接するコイルに電気が流れるのですが、その磁石を回転させる力が、水力、火力、原子力と、それぞれ違うだけで、原理は同じです。 つまり、磁界が変化すると、電流が流れるのですが、これを「電磁誘導」と言います。実は学生時代は、人間の意識について、あれこれ自分なりに考えまして、人間の意識には磁場を作り出す働きがあって、磁場の変化が、神経細胞の電気変化を引き起こすのでは?と仮説を立てたりしていました。ある物質が放出されるのは、あくまでもその結果であって、人間の意識の働きそのものではないと・・そうでないと、先の犬の幽霊ちゃん、脳もないのに、怒りの感情を持ってかみつく理由が見当たりませんもの・・幽体、つまりあの世で生活する際の身体には、磁場を変化させることで、肉体に働きかける力があるのかも知れません。亡くなった方の声が心に響いてくる現象も、そういうメカニズムが働いているのかも? 最近、幽体離脱は、脳にある特定の刺激を与えることで、誰でも簡単に体験できるようになったそうです。アメリカのモンロー研究所で、そのような実験が重ねられています。肉体から離脱するということは、生きている私たちも、たまたま肉体と重なっているだけで、実は幽霊なんですね。ですから、常に、感謝や怒り・・思いに応じた磁界の変化を、周りに引き起こしているわけです。それを、オーラと呼ぶ人もいますが、他の人は、その人の発する思いを磁界の変化として感知して、感じのいい人、悪い人と判断しているのかも知れません。 よく、神社などの聖域は、結界によって外界と遮断されていると言われますが、そこは、特別な空間磁場になっているところ。きっと、神々が磁化された空間に維持されているのでしょう。ならば、歴史上、聖者と呼ばれた方々は、空間を天国に近い状態に磁化できる力を持っておられたのかも知れませんね。 ですから、神社でも何でもないただの空間を「神変化する」ことは、自分の全人格から発するエネルギーを総動員する大変なお仕事だと思います。赤ちゃんからご老人に至るまで、誰もが毎日、周囲を磁化して生きている・・そういう科学的な目で自分の周りを見てみるのもおもしろいですよ。 |
平成19年3月16日(金)
今日は何の日?を調べていますと「リンカーンが奴隷解放を宣言した日」となっていました。偶然見つけたサイトの中に、「渡部昇一の100人の指導者」という連載記事がありました。その14番目にリンカーンがあり、ちょっと覗いてみましたの。すると・・ リンカーン大統領は、「奴隷を解放したから」ではなく、「アメリカ合衆国の統一を守ったから」国民から尊敬されているのだと知りました。確かに、人権思想が行き渡っている(北朝鮮などを除いて・・)現代の私たちから見れば、「奴隷を解放するなんて、エライッ!」と納得するでしょうが、自国の歴史を熟知しているアメリカ人からすれば、「その分裂を避けること」は何よりも大事だったことだとわかります。 1492年コロンブスによって発見されて以来、その一部がイギリスの植民地に。けれども、イギリス本国からの重税に苦しめられていた植民地の人々が、1775年に独立戦争を起こしたところから、この国の歴史が始まります。そして8年後の1783年に独立。世界の他の国では、まだ民主主義などなかった時代に、人民の手による政治を目指して、初代大統領のワシントンを始め、皆が希望に燃えて建国に邁進。フランス革命は1790年前後に起きたことですから、国王による支配から脱したのはヨーロッパではアメリカが最初と言ってよいでしょう。1809年に生まれたリンカーンは、開拓者のひとりでもあった父親からは、「成功するまでは、やってやってやりぬくのだ。!」というフロンティスピリットを、少年の頃読んだ「ワシントンの伝記」からは、建国の精神を学んだようです。だって、世界のどこにもない国を創ろうとしていたのですからね。ワクワクドキドキの物語だったことでしょう。 さて、独立直後は、東部のみだったアメリカ。中部や南西部を順々に他国からの買収などによって得てきました。たとえば、現在の南西部はもともとスペイン領であったため、メキシコが独立した際はメキシコ領でしたが、1848年に終結したメキシコ・アメリカ戦争で、メキシコが敗れ、カリフォルニアをはじめ南西部がアメリカに割譲されました。もちろん、先住民族との戦いもあったでしょう。そうやって、多くの血とお金が流れた末に、今の国土にまで拡大してきたわけです。それが又、奴隷制への意見の対立で南北2つに分かれるなど、建国の精神に反すること。世界で初めて「自由と平等」という概念を体現した国に生まれた者としてのプライドが許さなかったのでしょう。リンカーンはアメリカという国に生まれたことを誇りに思っていたようですから、尚更のことだったと思います。愛国心の少ない日本人には理解し難い感情かも知れませんね。特に二十歳の頃、ニューオーリンズで初めて見た奴隷売買の現場。「全然、自由と平等とちゃうやんか!」と驚いたのは当然でしょうね。今、○○国人ではなく地球人という意識に目覚めた人を進歩的と呼びますが、州の利害ではなく、アメリカという国の精神を体現することを唯一の理想として闘ったリンカーンは、さすがに「何歩も先行くアメリカ人」だったと言えますね。 ということで、詳しい歴史はこちらをお読みいただくとして、それよりも私が驚いたのは、リンカーンが大統領になるまでに経てきた職業の数々。少年の頃は開拓者の父を手伝って土地を耕し、畑を作る仕事。青年になると、自分で船を造って、大きな汽船と岸の間を渡す船頭。しかし、その時、対岸の船頭に「許可書がいるんだ」と、イチャモンを付けられ、裁判官のところに連れていかれたところから、法律の力に目覚め、後に、独学で弁護士の資格を取得。主に、雇われていた農場主に依頼され、船で南部に農作物などを運ぶ仕事をしていたようですが、夜中、荷物を盗もうとしたゴロツキを相手に格闘する武勇伝も・・本や勉強が好きな反面、腕っ節も強かったようです。そして、町の雑貨店を任され、店長をしていた頃のこと。6セント余計に客から受け取ったとわかったら、わざわざ10`先の客の家まで、お釣りを届けに行った事から「正直雑貨店」と呼ばれるようになったエピソードもあります。その店がつぶれた後は、自分の雑貨店もうまくいかず借金を抱え、土地の測量や郵便局長他、様々な仕事に精を出し、15年かかって借金を返済。そして、町での信用を築きつつ、ようやく州議会議員に当選し、政治家としての第1歩を踏み出したとのこと。51歳で大統領になるまでの、下積み修行の数々に心打たれました。 今、アメリカという国から受ける印象とは随分違いますが、先人達のご努力を思う時、彼の国の歴史の重みにも敬礼せずにはおられません。日本もちゃんとした歴史教育をするなら、どれほどの愛国心が生まれ、誇りをもった国民で満ちあふれることでしょう。それが又、新たな日本を創ってゆくエネルギー源になるというのに・・今日は、アメリカ国歌など古き良き時代のアメリカの歌が入ったCDに耳を傾けると致しましょう。そうそう、ゴスペルのCDもあったはず・・BGMをかけながら、アメリカという地に流れた血と汗と涙の物語を、子どもたちに聞かせましょうか。 |
平成19年3月9日(金)
今月は、半袖でも良いかと思うほどの気温の後、急に冷え込む日があったり、異常な冬ですね。2日前から風邪気味だったサンサンてるよ。2日続きで岩盤浴で汗を出してきました。更には、ニンニクと生姜入りの餃子を十数個をいただいてスタミナアップ!おかげで、風邪は退散。腰も随分楽になりました。ちょっと「マンボ」のリズムに合わせて、急に身体を動かし過ぎたせいでしょうか?それとも気温が下がって、筋肉が硬くなったからでしょうか?いずれにしても、急に腰を曲げる姿勢で手を伸ばしたり、後ろの物を取ろうと、腰をひねったりは禁物。能楽師になったつもりで、ゆったりとした動作をしなくては・・どうぞ、こちらやこちらで日頃の腰痛対策を・・
さて、昨日行った、心斎橋「ほどらひ」の岩盤浴は、3月一杯、時間無制限で2100円ということもあってか、若い女性たちが次々とやってこられて大盛況。サンサンてるよ、昨日の朝、けったいな夢を見たところから、つらつらとその指し示す意味を考えつつ、岩盤の上で瞑想タイム。身体がしんどいのに加えて、「アホの考え休みに似たり・・」で、結局、迷走タイムになって収集が付かず。夢は無意識の領域にアクセスしている時間。起きている間の理性で考えても、答えが出ないものとあきらめ、未来のことは未来に任そう・・と開き直った次第。 実は、ここ数日、どう解釈して良いのか悩む夢が続いているのです。自分に大きな変化が迫っているのでしょうか?若い頃は「歩く理性」のような女の子だったワタクシ。子育てを通して、理性よりも感性や直感で対処しないといけない世界があることを知りました。更には、最近は心の修養のため、心地よい音楽をかけながら、時々瞑想をしているのです。これも又、役に立つ時は立つけれど、時には全く邪魔でしかない「理性」との対決の時間でもあります。「あっ、こうしてみよう!」と思い付いた時、「こういうまずい事が起きるかも!」とか横からチャチャを入れるのが、大概は理性の働き。自分の中にいくつもの人間が居る感じですね。そして、最終どの意見を採用するか!ここが腕の見せ所。えいっと勇気を出して吉と出る場合あり。恐れに負けて時期を逸するケースあり。成功・失敗取り混ぜながら、これまで歩んできたように思います。と言っても、ストレスに直面して感情領域があわてふためいている場合に、冷静にアドバイスをくれるのも理性や知性の働き。また、深い瞑想状態に達するまでは必要ないけれど、瞑想中のいろいろな惑わしを見破り、自分を守ってくれるのも理性や知性かと思います。つまり、ハサミと同じで使いようなんですけどね・・ 振り返れば昔は、どの意見もいっしょくたにして「自分の考え」と思っていました。けれども、頭(精神・知性・理性)の意見と、心(直感・感性)の意見は異なることを知ってから、理性は万能ではない!と理解するようになりました。全く無い人間も困りますが、有り過ぎても困る存在。そのバランスを崩さぬよう舵取りしながら、人生という川を下ってゆくのでしょうね。正に、岩や川岸に当たりそうな時、危険を避けるのに使う棹が「理性」だと表現してもいいでしょう。そうでない時には、川の流れに身を任せる・・いつ危険に合うかわからないからと、棹を手に常に身構えているのって、外から見たらカッコ良くないですものね。46歳にして、ようやくそういうことに気付きました。 さて、その理性がいくらがんばっても手の届かない領域が無意識の世界であり、その代表が夢。人生は、起きている時間のみを指すのではなく、夢とシンクロしながら進んでゆくもの。明恵さまって、ご存じですね。女の子の名前ではありませんよ。鎌倉時代初期の名僧「明恵上人」のこと。19歳の頃から亡くなる1年前まで、自分の夢日記を付け続けた方です。実は最近、河合隼雄氏が書かれた「明恵・夢を生きる」という本を読んでおりますの。う〜〜ん,難しい!でも、明恵上人に限らず、昔の人々が如何に夢に重きを置いていたかはわかりますねえ。きっと現代人とは、使う心の領域が違っていたのでしょう。今の人のように「そんな夢のような話!」と一笑にふさない態度で夢を扱っておられます。 そう言えば、ワタクシなど現代人の悪いところがありますねえ。夢を軽くみてますもの。また、直観なども、無意識領域からのメッセージと解釈すれば、起きている時に一瞬垣間見る夢と言えるかも知れませんが、なかなか疑い深いですからねえ。落語のアイデアが直観でポンと入ってきた時にはすぐに信じるのですが、自分の進むべき方向へのアドバイス等が、ポンと入ってきた場合には「本当?自分の勝手な願いとちゃうのん?」とすぐには受け入れない人間。何度も同じことが繰り返されて初めて「そうなのかなあ?」と納得するという具合なのです。「明恵・夢を生きる」のP59には、現代人への警告とも読める文章がありました。 明恵の例で言えば、仏典の不明瞭な箇所を、碩学と言われた人に聞いてもわからなかったのが、夢にインドの僧が現れ、その疑問点を解き明かしてくれたという体験が、これに当たるでしょうか?これが明恵9歳の時のことだというのですから驚きです。合理主義によって武装された自我は強力であるが、それは完成したものではなく、 一面的存在であることを免れ得ない。現在の自我の状態に安住することなく、 常にその成長を願うなら、現在の自我の状態に対して何かを付け加えようとし、 或いは、それに対する批判を加える存在を必要とする。そのような存在が 我々の無意識であり、夢は無意識からのメッセージを、睡眠中の自我が それなりに意識化したものと考える。 従って、夢の内容を自我の合理性に固く縛られて見る限り、ナンセンスと 思われることが多いのであるが、その内容を自我を少し超え、現在の自我を より高次なものへと引き上げるための、異質な世界からのメッセージと見る時は、 大きな意味を持ってくることがある。 ところで、明恵上人は、ただ単に、趣味で夢を記録していたのではなく、仏を恋い慕う心に裏付けられた、仏に近づくための手段だったようです。白洲正子さんの「明恵上人」には、「明恵の夢は夢ではない、覚めている時の生活の延長であり、・・・信仰を深めるための原動力・・」「明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう。」という表現があります。しかも、その仏の定義も、単に遥か彼方におわす仏や、仏像として現れた仏ではなく、見るもの聞くもの全てが・・そして自分自身の心も仏である・・と悟っておられたようですね。明恵が華厳経の研究に励み、その注釈書を書き表した中に、次のような偈があります。 心の如く仏も亦しかり 仏の如く衆生しかり 心、仏および衆生 この三、差別なし つまり、他の人を喜ばせることは、仏を喜ばせることであり、他の人に苦痛を与えることは、仏に苦しみを与えることだとも言えますし、他の人のみならず、自分をも大切にすることの意義が、ここに記されているような気がします。それにしても「無意識領域では、全ての人がつながっている」という、近年の心理学で語られる真実を、はるか昔に看破されていたとは驚きです。ワタクシにも時折、「あれ?これってテレパシー?」と不思議に思う瞬間があります。もちろん、あれこれ理性で考えていない瞬間ですが・・ということで、自分がパッピイでいることは、全ての存在のハッピイに繋がるのですよ。皆さま、大いに笑って過ごしましょう!! 今日の最後に、そのような人類の共有財産である無意識層にアクセスする夢と、あたかも現実であるかのように錯覚させられている人生という名の夢・・その二つを見事に詠み込んだ慈円(明恵と同時代の僧)の和歌をご紹介して、不老具を閉じることに致します。 旅の世に また旅寝して草枕 夢のうちにも夢を見るかな |
平成19年3月3日(金)
今日は、私の文章ではなく、人間の年齢の呼称をご紹介いたしましょう。ここ数ヶ月、還暦のお祝いが続きますので、ちょっと調べてみましたの。古稀(70歳)、卒寿(90歳)などには、他にも様々な呼称があるんですね。また、90歳で人間卒業なんて、大きな勘違い!108歳は茶寿、111歳は皇寿、112歳以上(諸説あるが)は珍寿・・とまだまだ後がございます。119歳は「頑寿」で、ここに来て、ようやく頑固じいさんの域に達するんですね。えっ、解釈が違う?何なに?「頑」の字を分解すると、「元」が二と八、「頁」が百と一と八、合わせて119だからですって?失礼いたしました!天寿は250歳でしたかあ!ゴールはまだまだですね!
また、男性と女性で呼び方が違うのもおもしろい点。弱冠や、論語由来の、志学(15)、立年(30)、不惑(40)、天命(50)、耳順(60)、従心(70)などは男性のみの呼称。サンサンてるよも、もうすぐ天命を知る年・・というのは間違いなんですねえ。女性のみと言えば、笄年。昔は女子が15歳で笄(かんざし)を付けて成人したからですが、女性のみの呼称の少ないこと!ワタクシなど勝手に、39歳はサンキューの年に・・40歳は始終朗らかに!とか、その年の目標を決めてきました。ですから、女性は自分で自由に呼び方を決めましょう! 珍しいのが、破瓜(はか)は、女性なら16歳のことですが、男性は64歳の時の表現ということ。「瓜」の字が「八」を二つ合わせたように見えるところから、昔から漢詩文で用いられてきた呼び方ですが、八の二乗で64を差す場合もあるのですね。では、じっくりご覧下さいませ。眺めるだけで、「まだまだ自分は若いっ!」と思えますよ。 数え年 呼び方 由来 10歳 辻髪 つじかみ 子供の髪型から 15歳 志学 しがく( 男) 「吾十有五にして学に志す」(論語) 笄年 けいねん( 女) 16歳 破瓜 はか( 女) 「瓜」の八と八を加えて十六 20歳 弱冠 じゃっかん( 男) 「二十を弱と云い冠す」(禮記) 30歳 立年 りゅうねん( 男) 「三十にして立つ」(論語) 年荘ねんそう( 男) 「三十を壮と云い、室あり」(禮記) 40歳 初老 しょろう(共通) 不惑 ふわく (男) 「四十にして惑わず」(論語) 強仕 きょうし(男) 「四十を強と曰う、すなわち仕う」(禮記) 48歳 桑年 そうねん(共通) くわの古い文字より 50歳 杖家 じょうか(共通) 禮記より 中老 ちゅうろう 天命 てんめい(男) 「五十にして天命を知る」(論語) 知命 ちめい(男) 艾服 がいふく 艾年 がいねん 共通 髪が艾のように色あせて白くなるから 60歳 耳順 じじゅん(男) 「六十にして耳順う」(論語) 杖者 じょうしや 杖を突く人 杖郷 じょうきょう(共通) 禮記より 61歳 本卦還り ほんけがえり(共通) 還暦 かんれき(共通) 干支が60年で一回りするため 華寿 かじゅ 華甲 かこう(共通)「華」が6つの「十」と「一」と分解できるため 64歳 破瓜 はか(男) 八に八を乗ずる 66歳 緑寿 ろくじゅ 「緑」の読み(ろく)から。日本百貨店協会が提案 70歳 古希 こき(共通) 「人生七十、古来稀なり」の詩(杜甫「曲江」)より 従心 じゅうしん(男) 「七十にして心の欲するところに 従いて矩を踰えず」(論語) 致仕 ちし 杖國 じょうこく(男) 禮記より 懸車 けんしゃ 踰矩 ようくゆく(男) 77歳 喜寿 きじゅ(共通) 「喜」の略字が七十七と分解できるため 80歳 傘寿 さんじゅ(共通) 「傘」の略字(?)が八十と分解できるため 下寿 かじゅ(共通) 中國古傳説より 杖朝 じょうちょう(男) 禮記より 81歳 半寿 はんじゅ(共通) 「半」の字が八十一と分解できるため 盤寿 ばんじゅ(共通) 将棋の盤が 九×九 = 八十一 マスあることから 漆寿 しつじゅ(共通) 禮記より 88歳 米寿 べいじゅ(共通) 「米」の字が八十八と分解できるため 0歳 90歳 星寿 聖寿 せいじゅ(共通) 囲碁界特有 卒寿 そつじゅ(共通) 「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため 99歳 白寿 はくじゅ 共通 「百」の字から一をとると白になる事から 100歳 百寿 ももじゅ 紀寿 きじゅ(共通) 1世紀 = 100年から 中寿 ちゅうじゅ(共通) 中國古傳説より 101歳以上毎年 上寿 じょうじゅ(共通) 108歳 茶寿 ちゃじゅ 共通 「茶」の字を分解すると 「十、十、八十八」と分解できるため 不枠 ふわく(共通 ) 111歳 皇寿 こうじゅ(共通) 「皇」の字を分解すると 「白 (=99)、一、十、一」と分解できるため 川寿 せんじゅ (共通) 「川」が111と読めるため 112歳以上毎年 珍寿 ちんじゅ(共通) これほどの長寿は珍しい事から 119歳 頑寿 がんじゅ (共通) 120歳 昔寿 せきじゅ (共通) 「昔」の字を分解すると「廿 (=20) + 百」 大還暦 だいかんれき (共通) 2回目の還暦を迎えたことになるため。 かつての長寿世界一泉重千代を讃えるために作られた言葉。 上寿 じょうじゅ 共通 中國古傳説より 250歳 天寿 てんじゅ(共通) |