ねえねえ知ってた? 平成十九年九月

平成19年9月14日(金)

 今年の夏は、過去最高に暑かったにも関わらず、有り難いことにサンサンてるよ、夏バテがなかったように思いますねえ。けれども、バイオリズム的には、ワタクシ下降線の時期、つまり、最もエネルギーが少なくなる頃に差し掛かっているようです。エレベーターに乗れば、
「押した覚えがないのに、自分の階が点灯している。おっかしいなあ。ミステリー〜」
要するに、頭の疲労症候群に過ぎないのですが・・ワタクシの場合「こんな日は身体を休めようおっと!」と即、行動に移すことが出来ますが、身体がどういう状態であろうと、休むことの許されない方々は本当に気の毒です。それでも気力を振り絞って、仕事に取り組むしかない・・本当に頭が下がります。
 実は今日は、息子が鼻血を出して学校に遅刻したのが原因で、私の仕事を他の先生が代わってくださったのです。緊張が解けた途端に、身体の赤信号が表出し、思った以上に疲れが溜まっていたことを発見。夏の疲れが出なかった・・というのは思い込みで、やはり身体は「ちょっとちょっと・・・」と遠くから呼びかけていたのかも知れません。身体の声は最初は小さいですから、その声をキャッチするのは難しく、大抵の方は、「疲れてなんかいないぞ。」という思い込みを、愛すべき我が身体に押しつけているのではないでしょうか。そうやって無視している内に、「こら〜、なんぼ言うたらわかるんじゃい!」と突然、ボリュームを上げて警告が始まるという具合。痛みや不調は、消すべきものというよりは、身体からの「お・ね・が・い!」なのかも知れません。つまり、異常なのではなく、身体がちゃんと正常に働いてくれている証拠。「うん?どうしたんだい?ふむふむ。もうちょっと大事に扱って欲しいって?」車の手入れには時間とお金をかけるように、肉体という愛車にも注意を払ってあげないといけないのでしょう。
  実は、私が落語の道に入ったのも、よくよくたどれば、心のバランスを失い左脳を使う難しい本が読めなくなった友人のために、おもしろいお話を・・と書き始めたのがきっかけだったようにも思います。尤も偶然、そういう時期と重なっていたのかも知れません。身体の疲れもさることながら、「心のエネルギー」に目を向け始めたのは、「どうしたら、その方が元気になって下さるか?」を真剣に考えた結果なのです。ですから、随分前から、「心のエネルギーを枯渇させると大変なことになる」「常日頃から、エネルギー残量に注意を払うべし」ということを、折りに触れ、主張してきました。ワタクシの場合、心の癒しの必要に迫られて「笑い」の道に入り込んでしまった・・というのが真実だったのです。
 このHPの「笑いは何故大切か?」には「笑いと感謝は最良の薬でっせ。」というテーマが掲げてあります。どちらも「心のエネルギー」の強力な補給手段。今日は、それを実体験したんですよ!ということで「感謝の思いが沸いてくると、疲れがどこかに飛んでしまった〜」というお話を致しましょう。
 さきほどの続きですが、「折角休みをもらったのだから、以前から勉強している気や東洋医学の本を読もおっと・・」と机に向かっていたのです。すると、亡くなった父の顔が払えども払えども浮かんできます。最近、心を落ち着かせるために瞑目していると、同じ状況になるのですね。「どうして特に思い出したいとも思わないのに、現れるのかなあ。」と不思議でした。というのは、半分感謝、半分葛藤の気持ちを抱いていた方だから・・けれども、今こうやって心身の癒しのために東洋医学の勉強に取り組んでいると、西洋医学を学んだ医者としては珍しく、30年以上も前から、東洋医学を取り入れた医療をしていた父に、知らず知らず影響を受けていたのだと気付かされます。噂を聞きつけて遠くから患者さんが来られていたのは、やはり、西洋医学では治らない分野には、適した医療だったのかも知れません。
 母にしても、昔はその価値がよくわからなかったけれど、腹式呼吸で長い息を吐く「吟詠」という芸事を私にプレゼントしてくれた・・と気づき、今日は「良い父母を持つことができた」と、涙と共に感謝ができました。すると、あら不思議!さっきまでの疲れがスーッと取れていったのです。今までは「いろいろあったけれど・・」の「いろいろ」の方にばかり、目が行っていたように思います。10年ほど前には、「他の人が不幸を与えたように思ってきたけれど、実は、自分の心の中に投げ込まれたガラクタを、速やかに外に放り出す排出能力がないだけなのだ。」と我が身を反省したこともありました。いつまでも、ガラクタを抱きしめたまま、時間を止めているのは自分なのに・・
 けれども、更に時を経て今は「何も外に放り出すことなどないのよ。どんな大きさのガラクタであっても、アコヤガイのように粘液を出して包み込み、綺麗な真珠にしちゃえばいいのよ!」なんて、発想が進化。人生を終えて、その人の貝殻をパカッと開けた時に、どれだけたくさんの真珠が出来ているか・・それが、「いい男」「いい女」の必須条件だと、ワタクシ思っておりますのよ。人生の中で「最初から拒否した方が苦しみが少なかったかな?」と思う人もあるかも知れないけれど、自分の包み込めない大きさの破片はやってこない。うんうん苦しみながらでも、真珠に仕上げてしまえば、自分の勲章!晩年になれば、きっと飛び込んできてくれた、その破片に感謝できるのではないかと思います。
 夏バテから、アコヤガイに飛ぶという相変わらず、支離滅裂な不老具ですが、お彼岸を前に、いい経験ができたと心より感謝でございます。