ねえねえ知ってた? 平成十八年八月

<追記>

「許し」についての、お奨めの1冊がもうひとつ見つかりました!
 「鏡の法則」(野口嘉則・著)〜人生のどんな問題も解決する魔法のルール〜
帯には「読んだ人の9割が涙した!」と書いてありましたが、果たして・・う〜ん、やっぱり泣いてしまいました。9割ということは、きっとここに述べられているケースと似たような体験を、大抵の方はしておられるということでしょうか?これに関しては、内容はここに書きません。感動が薄れてはいけませんからね。この著者の「幸せ成功力を高めるEQコーチング」というブログは、インターネットで人気を博していたそうです。友人からも「鏡の法則」について、以前からHPを知らせていただいていましたが、今日、書店で偶然、本になったものを発見し、購入した次第。この5月に初版が出ていたのですね。この本の主人公のように、積極的に責めていたわけではなかったけれど、かと言って、やはり人生最大の苦難を経験する原因を作った父親(この表現も正しいとは言えませんが・・)には、まだ心からの感謝を捧げずにきたように思います。もう、あの世におりますが、今まで出し惜しみをしていた「有り難う!そして、ごめんね。」を心の中で思わずつぶやいたワタクシ。イヤなことばかり拡大視していたのでしょうね。
 振り返れば、私自身が父親の心を傷付けたことも・・陸軍少尉として中国に出征していた父。「乗船の直前に高熱が出て寝込んだことがあった。すると乗るはずだった船が撃沈されたんだ。」と、不思議な話や戦争での体験をいろいろ話してくれたものです。小学5年生くらいの頃だったでしょうか?ある時、ふと気になって、「パパも人を殺したの?」と思わず聞いてしまったのです。今思えば、何という残酷な質問でしょう。しばらく経って「戦争だったからなあ。」と寂しそうにひと言。この時ほど、後悔したことはありませんでした。京都や奈良のお寺にしょっちゅう連れて行ってくれたのもこの父。
 私だけが心の傷を負ったわけではなかった・・戦争で亡くなられた方のみならず、生き残った方々も又、深い深い傷を抱えながら生きてこられたのだ・・戦争に行った方でなくとも、ある方は幼い時に、別の方は結婚後に、辛い仕打ちに遭ってきたのかも?私の受けた傷は、目の前に現れる方々の心を推し量るための、大切な覗き穴なのかも知れない・・許しから感謝へと、勇気ある一歩を踏み出すための力を与えてくれた本でした。今という時代に生かされているだけでも、毎日感謝で埋めなくては・・

オンラインで読みたい方は、こちらをどうぞ。本には解説が追加されています。

平成18年8月29日(火)

もうすぐ9月なのに、まだまだ暑いですね。
   「ほんまにもう、どこの部屋に寝ても暑っついなあ。おかあちゃん、
    ウチん中で一番涼しい場所は一体どこやねん?」
   「そら、おとうちゃん、階段(怪談)やがな。」

今日は、怖〜いお話をお届けいたしましょう。私は高校の頃、遠藤周作さんのユーモアエッセイをよく読んでいました。狐狸庵先生が登場する話ですね。その中で、中学時代からの知り合いということで、作家の佐藤愛子さんのことに触れられていました。当時、甲南女子中に通う佐藤愛子さんは男子学生のマドンナ。灘中学に通う遠藤周作さんも憧れていたようですが、後に作家同士としてつきあうようになるとは思ってもいなかったとか。その愛らしかった佐藤愛子さんも齢80を超え、最近「あの世」に関する本をよく出しておられます。今話題のスピリチュアル・カウンセラー、江原啓之さんとの共著もあるようですが、たとえば、「冥途のお客」という本には、こんなエピソードが・・
 50歳までは霊など全く信じていなかった愛子先生、北海道に買った別荘で、怪奇現象に遭遇したのが心霊世界とのおつきあいの始まり。テーブルの上に置いていたはずのハサミや小銭入れ、航空チケット、孫の宿題がいつも間にやら無くなって、いくら探しても出てこない。数時間後にふと気が付くと、いつの間にか戻っている。大きなものでは段ボール箱や布団が消えて無くなったことも・・更には、部屋の中でドンドンという大きな物音がして眠れない。突然、テレビや電灯が点く。旅行や講演先のホテルや旅館でも不思議な出来事の数々・・しかし、作家魂は探求を怠らない。普通の女性では恐れおののくところ、いろいろな霊能者に意見を聞きながら、探偵の如くいつしか「あの世」の仕組みを探求する道に・・
 実は、オーラの泉に出演中の美輪明宏さんと江原啓之さんを引き合わせたのが佐藤愛子さん。江原さんとは、昔の武士の幽霊が出て住民を困らせる岐阜のアパートに、一緒に取材に行ったりもされているそうです。その江原さんが遠藤周作さんのメッセージを伝えた話が「冥途のお客」にありました。生前、遠藤先生、愛子先生に「君、死後の世界はあると思うか?」とよく質問したそうです。すでに怪奇現象を通して、死後の生命を信じざるを得なくなっていた愛子先生「あると思う」と答えたとのこと。「そんなら、君が先に死んだら幽霊になって出てきてくれ。俺が先に死んだら、出てきて『死後の世界はあった』と教えてやるから・・」愛子先生は「遠藤さんの幽霊なんか出てきていらん」と冗談を言ってたそうです。さて、遠藤さんが亡くなった翌年、電話で江原啓之さんと話をしている最中「ちょっと待ってください。今、遠藤周作先生が、佐藤さんの部屋におられます。『死後の世界はあった・・だいたい君の言った通りだった』と言っておられます。」と驚愕の実況中継が始まったそうです。「遠藤さんは約束を果たしに来たのだ!」と思いつつ、江原さんが語る遠藤周作さんの様子に耳を傾けると・・「天国にも段階があって、遠藤先生は普通の人よりも早くに、幽界の高い所まで行かれたようです。すごいですねえ。」「他の作家仲間(開高健さん、有吉佐和子さん)も呼ばれて、今皆さんでおしゃべりしています。」「すごくいいところに来ているとおっしゃっています。」とのレポート・・
 他にも落語のように笑えるエピソードあり・・背筋が凍りそうな体験あり・・普通ならノイローゼにでもなりそうな環境の中を、30年にわたって冷静に「死後の世界」を探求し、それを本の題材にするという作家魂が精神を正常に保たせていたのでしょう。
愛子先生、あとがきには、次のように書いておられました。
   死はすべての終わりではない。無ではない。

   肉体は滅びても魂は永遠に存在する
   そのことを「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちに
   わかってもらいたいという気持ちだけです。
   30年に渡って私が苦しみつつ学んだことを申し述べたい。
   ひとえにそれが人の不信や嘲笑を買うことになろうとも 
   私にはそんな義務があるような気さえしているのです。

 さて、ひと昔前までは、怖い場所の代表だった墓地ですが、葬儀に対する人々の意識が変わってきたように、お墓も随分とモダーンになってきたのですね。母のお墓のことでいろいろ調べている内に、こんなHPを見つけました。ニューデザインお墓コンテストで入賞したお墓の数々が、写真付きで見られるページです。たとえば、それぞれの人生を表現したユニークなお墓の他、人が近づくとセンサーが感知して、石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」という曲が流れるお墓(うーん、こんな風に言い切れるなんて、勇気のある方!)、センサーで電灯が点く工夫がされているお墓(もしかすると、恐がりの故人の方だったりして・・)もありました。あちこちにこういうお墓が増えたら、肝試しの会場にはなれないですよね。えっ、突然曲が流れたり、電気が点いたりした方が、余計にびっくりするって?また、ゴルフ好きの方のお墓は、こちらこちらこちら・・
その方の魂も天国に向かって一直線、ホールインワンになったらいいですね!

平成18年8月26日(

今日は「許し」という深遠なるテーマについて考えてみることにしたいと思います。そうです。よく時代劇などで見られますねえ。殿様が腰元の帯に手をかける。帯はほどけ、腰元の女性はクルクルと回りながら叫ぶ!「お許しくださいーー」 ちょっとお、違うでしょ!では、おとうちゃんは外で汗をかきながら仕事をしている。おかあちゃんはクーラーの中で好きな本を読む。「おとうちゃん、許して・・」ちょっと近づいてきたでしょうか?いやいや、まだまだ・・「許し」とはそんな簡単なものではないのですねえ。
えっ、この暑い最中、話題が重苦しいって?メンタルヘルスの一環として笑いを考えてきたサンサンてるよ。メンタルヘルスに関わることなら、たとえ火の中、水の中・・書いて書いて書きまくるのでござりまする〜どうぞ、クーラーの温度を2度ほどお下げになって、お読みいただきますよう、あっ、この通り、お願い申し上げまする〜〜〜〜(余計、暑うなったって・・)
ここ数日、クーラーに当たりながら読んでいた本は、「ゆるしのステップ〜心がやすらぎで満たされる12の奇跡」(ジャン・モンブルケット著、浅岡夢二訳、PHP研究所)著者はカナダ在住の司祭であり、心理学を教える教授。従来、キリスト教で教えられてきた「許し」の考え方が、人々を苦しめていることに疑問を持ち、教義ゆえではなく、独自に「許し」について長年考え抜く。その結果、段階を踏んで最終の許しへと導く「許しのステップ」を考え出し、セミナー等を通して人々の苦悩を和らげておられる方です。まえがきに「キリスト教を信じる人にも、そうでない人にも読んでいただけるよう書かれています。」とあるように、とても読みやすい内容でした。12のステップ全部についてここでご紹介はできませんので、幼い頃、或いは、若い頃にしてしまった自分の失敗をずっと悔いている時には、「こんな風に考えたら楽になるのね!」と気付いたことをお話したいと思います。
 心理学では「インナー・チャイルド(内なる子ども)」という言葉が良く聞かれます。幼い頃に受けた心の傷があると、大きくなってからもその時のその子の気持ちが心の中では生きていて、何かの拍子に暴れ出すことがある・・そのために「インナー・チャイルドを癒す」という考えがあります。自分を許すことをインナーチャイルドと関連づけるなら、次のような観点が出てきます。
 向上心の強い人ほど自分の欠点に敏感で、そのために90点でも足りない10点が気にかかって仕方がない傾向にあります。現在だけでなく、自分の過去についても・・でも、自分だと思っているから容赦なく責めるんですよね。「なぜあんなことをしたのだろう!」と・・けれども、その子を別個の存在として扱うとどうなるでしょう。その子は大人になった自分からずっと責められ続けて辛かったのではないか?自分に許して欲しかったのではないか?もう許して・・と訴え続けてきたのではないか?と気付いた時、「ごめんね・・」という気持ちが沸いてくることでしょう。つまり、自分ではあるが別個の存在として・・そういう状況に仕方なく追い込まれてしまった愛すべき少年少女として・・その子を観てゆくのですね。そして、その子をぎゅーっと抱きしめてあげる・・これは、私の心の中で起きた出来事でもありました。
 自分への許しのみならず、他人の仕打ちを許してゆくことは、夏休みの宿題を先延ばしにするように、忙しい毎日の中では後回しになっているものです。今振り返れば、母は「自分の命はもう長くはないのでは?」と気付いた頃から、この「ゆるし」ということに正面切って取り組んでいたように思います。若かりし頃、とても親しかったのに、ある言動から疎遠になってしまった人たちに電話をかけたり、あるいは、直接会って、また友情を取り戻す様子を私は見てきました。電話が終わった後、「あのね、何だかお腹の底からカーーっと熱いものがこみ上げてくるのよ。」と言ってたのを想い出します。その方々は、葬儀の際には、遠方から駆けつけてくださったり、一周忌の時には、お花を届けてくださったり・・母は棺の中までわだかまりを持って逝くことはなかったのだなあと、つくづく感心したものです。
「ほんまにもう、おとうちゃんはワタシの悪いとこしか見てへんねんから・・おとうちゃんなんか許されへんわ!」と憤慨するおかあさん。ある日のこと、「ワタシ自身が、自分の長所を評価せずに、足らざる点ばかりに目がゆくタイプなんや!全然自分を褒めてあげてないやん!」と気付いてハッとしたと言っておられました。このように自分の傾向性に気付くために同じタイプの人が・・或いは、怒りっぽい人には、間抜けな人が・・人を許せない人には、その人を傷付ける人が・・もしかしたら近くに配剤されるのかも知れませんね。目には見えない力が働いて・・そういう方法で、「あなたのバグはここなんだよ」と教えられることもあるのでしょう。
 地球の歴史を見ると戦いばかり・・個人の人生にも苦い思い出が・・けれども、見方を180度変えるなら、意見の対立がなければ、そして傷付けてくれる人がいなければ、私たちは「許しの実地研修」ができないのだとも言えます。この地球上では、この試験にパスすることを課せられているのでしょうか?想い出したらイヤと感じるけれど、他の仕事に紛れて普段は心に浮かんでこないものです。でも、この本を読んで、勇気を持って「ゆるし」に取り組む時間を作る必要があるのだなあと感じさせていただきました。

平成18年8月23日(水)

夏バテ知らずできたのに、落語会が終わり緊張から解放されて、ホッとしたのでしょうか?今日は朝からやたらと眠い!体がだるい!すぐに横になりたくなる!という症状が・・風邪ではないので「もしや、これがクーラー病?」と思い、いろいろ調べてみました。と言っても、夜になってやっと活動エネルギーが戻ってきたところ。クーラー病などと名前が付いていますが、実際は自律神経出張・・失礼・・失調症と同じもののようです。(※我が家では、ボケたことをしでかすと、すぐに「自律神経が出張してまんねん」というギャグが飛び交うので・・)外気と室内が5度以上も差があると、身体の温度調節が追いつかず、自律神経が徐々に変調をきたしてしまうそうです。そして、気の巡り、血液や水分の循環まで悪くなります。私のように、身体のだるさのみならず、頭痛や肩こり、腰痛に神経痛にまで発展するケースも・・詳しくは、こちらこちらをご覧くださいませ。今からでも遅くはありません。麦茶やウーロン茶のがぶ飲みは避け、身体を暖める食品を採りましょう。毎晩お風呂で身体を暖められたら言うことありませんが、夏はシャワーだけで済ませている方なら、バケツに熱めのお湯を入れて足湯をするのもいいですよ。そして、岩盤浴なども宜しいかと・・炎天下でかく汗と種類が違うんですよ。
 心身のエネルギーレベルが下がっているなあと気付いたら、無理をせず、身体をいたわってあげてくださいね。

平成18年8月21日(月)

 先日、旅行中に溜まっていた新聞をまとめて読んでいると、ハッとする記事が・・
名古屋に「笑いのあるケアを提唱」する介護士の方がおられるとのこと。正に、自宅や施設での介護はこうあって欲しいなあと以前から考えていた内容なので、今日はご紹介を・・(産経新聞8/10、8/11日付け「ゆうゆうLife」より)
 その方のお名前は、袖山卓也さん34歳。昔は暴走族の不良少年でケンカの日々。けれども、親友がバイクの転倒事故で亡くなり、お葬式でお母さんが半狂乱になられている姿を見て深く反省し、不良を辞める決心を・・それから高校に通い直し、いつしか医療の道を志す。臨床検査技師として働き始めるも、生身の人間と触れ合いたい思いに突き動かされ、20日間勤めただけで退職。そして、ある病院のホスピスで人生の最後の時を過ごす方々と接する内に、介護の道へと誘われた経歴の持ち主です。就職先の介護施設で、高齢者が心から笑っていないこと、寝たままや車いすに座ったままで放置されていること、監禁棟と呼ばれる部屋に閉じこめられ、薬でおとなしくさせられていること・・介護の陰の部分に義憤が沸いてきて、時間の許す限り、入居者と親身の触れ合いを実践し始めたそうです。すると「あの人に介護してもらいたい」と人気集中。27歳で施設長を任されるほどに・・独立後は(有)笑う介護士を立ち上げ、「出来る限り、自宅でのくつろぎと同じものを・・」という理想を追う一方、講演で飛び回る毎日のようです。
 中でも「ある時、ほとんど笑わない男性を任されました。そこで、語りかけ、その方の人生や望みを知ろうと心がけました。そして、その方が経営していたガソリンスタンドの職員に成りきってコントをすると、初めて声を出して笑ってくれたのです。その日以来、私たちに心を許してくれ、硬かった表情も和らいできました。」というエピソードにワタクシ、深く感動。老人施設での笑いの神髄はこうあらねばと教えられた気がしました。特にの部分が大切なのでしょうね。
 お互い元気な内は、不満や欠点が目につくものですが、死を目前にした時、自分自身が人生を振り返るように、家族もその人がどのような人生を生きてきたのか、自然と知りたくなるものです。私自身、母と同居になってから、母の小さい頃の話を聞いたりしながら過ごしていました。いつか必要になるかも知れないという漠然とした予感があったのかも知れません。戦争ゆえに両親と一緒に暮らせなかった寂しさ・・数々の人生の試練に直面した時の心境・・私なりに母の人生を理解しようと努力をしたように思います。そのインタビューを元に、母の一周忌に「吟詠人生応援歌」という冊子を作って、お世話になった方々へ贈呈させていただきました。(このインタビューの内容は、大阪高級葬儀蒲lに依頼する際にも、大変役に立ったという一石二鳥の役割も・・そして、そんな中から私が乗り越えるべき葛藤も解決していったのですから、一石三鳥かも?
 「理解することは愛したことと同じである。」昔読んだ本の中に、こういう言葉がありました。元気な方であれ、痴呆症状が出ている方であれ、ホスピスで死を待つ方であれ、更には、亡くなった方であれ、「自分を全身全霊で理解しようとしてくれる人」が身近にいてくれるなら、どんなにどんなに幸せなことでしょう。言葉以前に、そのような心から出るエネルギーが、相手の方を元気付け、癒す力を持っているのではないでしょうか。ですから、余計に日本トータライフ協会の皆様や久世塾生の皆様のお仕事に拍手を送りたくなるのです。私自身、そういう方に出会えたなら、満足して死んでゆけるだろうと思います。
 私のご近所の方で、やはり介護施設にボランティアとして出入りされている方も、そのようなお一人。担当するご老人が心を開かれるまでは、ただ横に座って優しい思いを出しておられる・・体に触れられることに抵抗が無くなったら、黙って手をさすっておられる・・歌がお好きなら、その方の思い出の歌を聞き出し、一緒に口ずさむ・・すると、虚ろだった眼差しが、一気に輝くそうです。「あなたを大切に想っています。」そう思える相手がいること・・そして、そう想ってくれる人に巡り会えること・・もしかすると、3億円の宝くじに当たるよりも幸せなプレゼントかも知れませんね。

平成18年8月18日(金)

昨夜は、第2回「おぎゃーの会」に行って来ました。午後、ふと思い立ち、バーゲン真っ最中の浴衣を買いに走り、家族一同、浴衣姿で、6時からの落語会へと繰り出しました。今回は、私の作品が演じられるため、「お客様に楽しんでいただけるだろうか?」と朝から不安と緊張が・・気軽に聞きに行けない事情はありましたが、桂蝶六師匠他、落語家さんたちの熱演で、皆さん、よく笑ってくださり、胸をなで下ろしました。笑いがブームになってより、落語家さんたちは忙しく、なかなか打ち合わせの時間が取れないようで、私の作品がどのように料理されて仕上がってくるか、実は当日までドキドキものでした。
 さて、聞き進めてゆく内に、提出した台本の一部を元に、落語家さんがイメージを膨らませて、違う話に発展している感が・・他の作品を提供された、仲間の作者の方も「私のも、似て異なる話に変わっているわ。」と言っておられましたが、やはり練習している内に、その落語家さんの頭の中で膨らんできたストーリーがあるのでしょう。
 ということで、今日は「落語を創ってみました!」のページに、原作である「あの世からこんにちは」を追加更新しました。こちらは、あくまでも読む落語です。演じられた落語では、原作の4つの場面の内、最後の場面を膨らませて、とってもおもしろい話に仕上がっており、あの話が、こんな風に発展したのね・・という結果を見せていただいた気がしました。多くを詰め込みすぎず、ひとつの場面を膨らませてゆく方法も大切だと感じました。
 原作を読んでいただいたら、おわかりかと思いますが、「あの世からこんにちは」には、妻を・・我が子を・・そして、父親を亡くされた方々が登場します。きっと、我が子を亡くした母親を演じる際には、女性の落語家さんの方が、感情移入はしやすいでしょうね。台本と落語家さんのマッチングの程度が大きいか小さいか・・という問題が、常につきまとうのだろうと思います。普通、作者は自分のイメージの膨らむままに書き進めますが、もっと道を究めるなら「あの落語家さんなら、この部分を膨らませたいだろうな。」という事がわかるようになるのかも知れません。つまり、特定の演者さんを想定して書くという創作も、今後必要になってくるのでしょう。間に演者というクッションを置いた場合には、単に自由に台本を書くところから、更に踏み込んだ工夫が必要になってきます。そういうことを学んだ今回の落語会。空想の物語の世界だけに遊んでいるわけにはいかない。結局、いつも相手にするのは人間なのですね。いかに、人間通になるか・・今後の課題です。

さて、落語会が終わってからの懇親会。夏休み中で、子どもたちも夜更かし可能?かと、初めて参加。音太小屋の女将さんのおいしい手作りハンバーグ等をいただきながら、落語家さんやゲストの漫才師さんたちとも、初めて歓談。大阪の夜を満喫したひと時でした。最後になりましたが、昨日は会場満杯のお客様。サンサンてるよが原案を提供した落語を聞いてくださったという、特別のご縁に結ばれた皆様、作品に取り組んでくださった桂蝶六師匠他の落語家さんたち、ゲストの暁明夫・あきらさん、音太小屋の皆様、そしてスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
<追記>
翌々日、インターネットのあるブログに、ご来場くださったお客様の声が載っているのを発見。とっても楽しんでくださっていたようで手を合わせました。


平成18年8月16日(水)

実は、この6日から11日には沖縄に行っておりました。旅の詳細は、こちらをご覧いただくとして(済みません。間違って、画像データの一部を消してしまいました。)命についての大きな学びをいただいた時間でした。
 それにしても、パソコンの故障から急遽開いたブログでしたが、画面には現れない一言コメント(たとえば、「お邪魔しました〜」みたいな・・簡単な内容で「あしあと」と呼ぶそうですが、)を書き込んで下さっていた方がたくさんおられて、訪問者数が毎日20〜40、時に80という数字が記録されていました。ほんと!ブログは誰に見られているかわからない緊張があるのですね。気軽に綴れると思っていましたが、正反対の意見を持った人が、突然訪問するケースも出てくることでしょう。イデオロギーに関する意見など、むやみに書いてはいけないかも?と思ってしまいます。
 でも昨日は終戦記念日。敢えて、ニュースになっていた小泉首相の靖国参拝(首相が8月15日に参拝するのは21年ぶり!)、そして、隣国の反応について感じたことを率直に綴りたいと思います。それは、沖縄で戦争の傷跡を訪れ、悲しみを体験された皆様のお気持ちを受け止めた者として、避けてはいけない気がしたからです。中でも、大田實少将が手榴弾で自決され、壁に飛び散った弾の跡が生々しく残っている部屋に足を踏み入れた時は、衝撃的でした。その瞬間の様子を想像するのが怖いほど。日本人に限らず、他国の方であっても、戦争に付随して命を失われた方の無念さが、今ならわかる気がします。辛酸を舐めた隣国の方々の苦しみにも思いを寄せながら、世界の未来が幸せであれという気持ちでここに記したいと思います。
 政治家の方々のインタビューを聞いていると、党のイデオロギーに沿って、或いは、隣国に気を遣って・・反対意見を述べておられました。大規模な抗議デモがあったようなニュースもありましたが、私には、自国民の命を大事にしているとはとても思えない国が、自国民を殺されたとして日本を批判する姿勢に、滑稽さを感じてしまうのです。戦争を2度と起こしてはいけないという精神で、日頃から行動しているのならともかく、中国など軍国大国の道を歩んでいるのが現状。もう、矛盾がいっぱいの批判行動はやめていただきたいですわ。記憶力や表現力などの能力と同様に、「共感力」を大切な能力のひとつと考え始めたワタクシ。隣国に限らず、国内で参拝反対を叫ぶ方々は、自分のイデオロギーや気持ちへの共感力はあっても、戦争で散っていった方々への共感力に欠けているのではないか?そして、目に見える世界の平和の元となる「自らの心の平和」を保つ努力をしているのだろうか?と疑問に思ってしまいます。私自身、その方の過去や現在のお気持ちに十分に共感する前に、その方の人生に干渉するような言動をしてはいけない!と戒めているからです。もし、確かに、その共感があると言うのなら、戦争で散っていった方々の心の中で、靖国神社がどのような意味をもっていたかがわかるはず・・「靖国で会おう!」という言葉には、永遠の生命を信じておられる死生観を感じます。けれども、だからと言って戦争で命を失っていいはずはない。決して自分の本心から湧き出る意志ではないのだから・・ですから、時代に従わざるを得なかった方々の、その心の拠り所であった場所を否定するような言動を、平和な時代に生かされる者が行ってはならないと思います。一国の首相が「感謝と敬意と哀悼」という国民の気持ちを代表して参拝することに、遠慮があっていいはずはない。けれども同時に、他国の方々への鎮魂の気持ちも表してゆけば良いのではないか?本当に平和を求める者がすべきことは、一人一人の心の中にまず平和を実現すること。笑いや感謝や思いやり・・心の平和に大切なことを、より一層大切にしたい・・と思った沖縄の旅でした。

でもね、先日の台風報道でも、「沖縄は雨!」とか、「台風直撃!」とかいう印象を持たせる報道のマジックがあることに気付いたワタクシ。だって、9時のニュースでもまだ、7時前に少しだけ降った雨の映像を延々と流しているんですもの。すでに7時半には、雨は上がって晴れ間も見えていたんですよ!案外、隣国の反応も、ごくごく一部分を取り上げて、さも国全体の反応のように見せているのではないか?と疑ってしまいました。私には上海の友人もいますが、多くの人たちは「いつまで抗議をやってるの?」と思っているかも知れませんね。ということで、政治には、とんと疎い大阪のおばちゃんの独り言でした!明日締め切りの落語が、まだ完成していないというのに〜実は、「ボク、省エネくん」という省エネ電化製品を主人公にした落語を書いているところなんですよ。掃除機のホースの先に、ほうきの毛が付いていて、ゴミや埃をほうきで1カ所に集めた後、シューッと吸い込むという掃除機。3秒ほどしか電気を使わないから、正に省エネの横綱。こんなけったいな製品をいろいろ考えているところ。多分、売ってても買わないだろうなあと思いながら・・

平成18年8月4日(金)

夏バテの細胞に活を入れるべく、今日も岩盤浴に行って参りました。昔は「暑い夏にわざわざ汗をかきに行くなんて、とんでもない!」と思っておりましたが、あの究極の?リラックスを体験すると、ホント病み付きになりますねえ。母の介護の期間に知っていたら、もっと身体も心も楽だったのでは・・と悔しい限り。
 思い起こせば2年前の夏は、母の介護真っ最中でした。私の場合、同居しての介護は一年足らずの期間でしたが、それでも、どれほど心身にストレスがかかるかは、身に染みてわかったつもり・・夜中の数回のトイレには必ず起きて付き添っていましたので、緊張が続いたせいか、私が風邪から肝炎に・・感染性のものではなかったのが幸いでしたが、顔は腫れ、息も継げないような咳がずっと続いて、介護どころではなかったことも・・母は、老齢からではなく、病気のため脳の圧迫が起こり、認知障害や視力障害が出ていました。自分の家と間違えて「そこのタンスに入っている○○を取ってきて・・」とか、少しの期間でしたが、無理難題を言ってくれることがあったり、「危ないから、そこに座っていてね。」と頼んでいたのに、私がいない間に立ち上がって、子ども達が寝ているところにフラフラと歩いて行ったり・・ヒヤッとした事も度々ありました。もう頭の中は何が何だかわからない状態で日々を過ごしていたんでしょう。母を病院に連れてゆく日、母のお化粧をしたら、すっかり自分の分を忘れて、病院のトイレの鏡で顔を見てギョッ!としたことも・・母のベッドサイドでは、音楽や落語がかかっていましたが、私がじっくり落語で笑う機会はやはり僅かしかなかったかも・・でも、その僅かな時間が、やはり心をリセットしてくれていたかも知れませんね。と言っても、寝たきりになった最後の2ヶ月の方が返って心にも余裕があって、母の横で一緒に落語を聞く時間も持てました。いろんなタイプの介護を取っ替え引っ替え体験させていただきましたねえ。
 知人の男性で数年間、御母様の介護をされていた方がおっしゃっていました。「そういえば、ここ数年、全く笑ってなかったですねえ。」ですから、愛好者だけが集う落語会だけではなく、そういう方々のために、こちらから出向いていって、笑っていただくような活動が必要ではないかと、しみじみ思います。これから、本格的な高齢化社会がやってきますものね。
 私の高校生時代からの恩人に、30年以上もの間、お父さまの介護に携わっておられる方がいます。Amigo先生とお呼びしましょうか。男性の方ですので、余計にその生き方に想いを馳せるたび、私はつくづく頭が下がります。こういう方こそ「心の達人!」だと感嘆しているのです。介護の傍ら、マラソン・写真撮影・作詞作曲・仲間との楽しい集まり・・心の余裕を産み出す智慧をちゃんと持ってらっしゃるから、それこそ、マラソンのような長い期間を走り続けることが可能だったのでは?Amigo先生のHPの写真コレクションには、思わず吹き出してしまうものがたくさん・・今日は、そのご紹介の日と致しましょう。特に、こちらの「アシカちゃんの笑顔」に癒されますねえ。また、季節の花の写真は必見です!
 他にも、介護の日々を綴ったブログなどを読んでいると、自分の立場を客観的に見ながら、ユーモア精神を持って毎日を送っておられますねえ。たとえば、こちらの「つるちゃんとかめこ」お母様をつるちゃん、自分をかめこと名付けて綴られる毎日は微笑ましく感じます。私の介護時代には、今のようにインターネットでブログを見たり発信したりといった発想が全くありませんでした。せいぜい日に1回メールをチェックする程度・・もし、こういうブログの存在を知っていたら、もっと介護も気が楽になっていたのではと悔しい限り。
もちろん、ワタクシの大切な友、函館の水冠さまも、そのおひとり・・多彩なご趣味とご自分を客観的に眺める眼差しをお持ちです。
本当に「心に遊びの部分を持つこと」の大切さをつくづく感じる今日この頃です。

最後になりましたが、皆様にお知らせ!実は、しばらく、「ねえねえ知ってた?」は夏休みとなりま〜す。旅先からのご報告はこちらに投稿致しますね。子育て中の16年間は実家への帰省以外は、せいぜい1泊旅行が限度。ここ6年ほどは、子どもの受験や介護が続いて、しばらく旅行から遠ざかっていましたねえ。17日までに新作の落語を仕上げる宿題もあって、完全に何も考えずにぼーーーっとは出来ませんが、異なる土地と空気と水に触れて刺激を受けて参ります。次回は、17日の落語会のご報告から再開ということで・・介護中の皆様には申し訳ないことと思いつつ・・どうぞ、お身体をご自愛くださいませ。

<お知らせ>

来る8月17日、落語出来塾「おぎゃ〜の会」第2回公演会が開かれる運びとなりました。「おぎゃ〜の会」は、決して「ハ調のラ」ではありませんでしたが、この4月に桂蝶六師匠を中心に落語家さんたちの???声で産声をあげた「新作ネタおろし」の会です。作品を提供するのは、主に大阪シナリオ学校卒業生の皆さん。今回の演目のひとつには何と!サンサンてるよ作「あの世からこんにちは」がございます。お近くの方は、いや、「海外からでも行きたい!」とおっしゃられる方は・・以下の日程で開催いたしますので、どうぞお越しくださいませ。

  日時:平成18年8月17日(木) 午後6時15分開場:6時45分に開演
  場所:天満の音太小屋 大阪市北区菅栄町3-15 
     地下鉄天六@番出口より徒歩5分
  料金:前売り1500円(当日1800円ですが友人知人は前売り料金となります。)  
  演目:キノコ狩り(作・世戸タマエ)  桂壱之輔
      福の神(作・浪江裕史)  笑福亭右喬
      あの世からこんにちは(作:サンサンてるよ)  桂蝶六
  スペシャルゲスト:暁明夫・あきら(音曲漫才)
  お問い合わせは、大阪シナリオ学校 瀬尾まで・・06-6358-3399


<クイズ>上の???に入る言葉は何でしょう。
        @思わず魅き込まれるような素敵な
        A思わず耳をふさぎたくなるような大きな
        Bとても人間とは思えない
                    正解は・・・当日お確かめくださいませ。


平成18年8月1日(火)

 春は曙・・夏は夜・・秋は夕暮れ・・冬は早朝・・それぞれの季節の深い趣を綴ったのは清少納言。さしずめサンサンなら、色声香味触法を当てはめ、春は色・・夏は声・・秋は味・・冬は触・・と表現いたしましょうか?墨絵のような世界から一転して、色鮮やかな花を愛でられる春。今年も「こんなにも色とりどりの花を咲かせてくださったこと」「こんなにもたくさんの色を識別できる眼を戴いたこと」に只ただ感動し、感謝して過ごしておりました。
 「秋は味」おいしいものにいっぱい出逢えるのは収穫の秋・・でも、おいしさには「香」の要素も大きく関わっていますね。松茸、栗、サンマ・・食欲をそそる香りも又、見事です。「冬は触」寒さが肌を刺し、外界との境界線を最も意識しますものね・・
 そして、また再び夏が巡ってきました。「夏は声」としたのは、やはり蝉の鳴き声を思い浮かべてのこと。一年中で自然が最も大きく声を発するのが、夏ではないでしょうか?外で鳴いているのはミンミンゼミ?それとも・・私は蝉の種類には詳しくありませんが、蝉のオーケストラの発する音が、身体中を包み込んで優しくマッサージしてくれる・・といった感覚をいつも受けるのです。「岩に染み入る・・」ではなく、本当に「肌に染み入る・・」感じで、とても心地よいのです。こんなことを書いたのも、最近「ある種の音楽を聴かせると、細胞の中のタンパク質の合成が促される」という記事を読んだから・・もしかすると、蝉の声のマッサージには、夏バテした細胞ひとつひとつを元気にするパワーがあるのかも知れませんよ!
音楽の持つ力・・人間や動物の気持ちを高揚させたり、また和ませたりするという心理的な効果は昔から知られていました。そして昨今、たとえばモーツアルトを聞かせた植物は、よく実を結び、牛はお乳をたくさん出すといった研究も周知の事実になってきました。
 更に驚くべき事に、「音楽は細胞というミクロの領域にも確かに影響を及ぼすこと」が、ある素粒子物理学者によって証明されていたのですね。ワタクシ初めて知りました!欧州研究大学教授のジョエル・ステルンナイメールは、1992年に「音でタンパク質の合成を制御する方法」を特許出願。それは、莫大な研究費がかかり危険性も含む遺伝子操作などを、全く必要としない画期的な方法です。ある特定のメロディを聴かせるだけで良いのですが、簡単に説明しますと・・
細胞内でアミノ酸が次々に連なってタンパク質が合成される時、「スケーリング波動」という特定の波長を持った粒子が発生する。この波動はそれぞれのアミノ酸に固有で、これを76オクターブ下げると(振動数を減らすと)耳で聴けるメロディになる。倍音関係でも共鳴は起きるので、個々のタンパク質のアミノ酸配列に対応する音楽を聞かせると、そのタンパク合成が進み、枝も実も大きく生長する。
ということです。
たとえば、水酸化ナトリウムと塩酸を混ぜて中和反応をさせると溶液が熱くなりますでしょ?分子が再編成された時、熱というエネルギー粒子が放出されます。同様に、アミノ酸同士がつながってタンパク質を合成して行く時、やはりエネルギー粒子が出ます。振動数は熱よりもずっとずっと高いですが・・それをここではスケーリング波動と呼んでいます。また、タンパク質の合成にはまず、細胞内の遺伝子が働き始める必要があります。「笑いは血糖値を下げること」を発見した筑波大学の村上和雄先生は「笑いは遺伝子のスイッチをオンにする」とおっしゃっていますが、音楽もまた、遺伝子のスイッチをオンにする働きがあることが証明されたわけです。
詳しくお知りになりたい方は、こちらのHP或いはこちらの本をどうぞ。 いずれ難病を「タンパク質の音楽」という特殊な音の配列で治す時代が来るかも知れませんね。聖マリアンナ医科大学や東京女子医科大学などのように、ステルンナイメール博士や上記の本の著者を講演に招いて代替医療を積極的に勉強している病院もあるようです。

 それにしても、音の不思議は世界に一杯あります。世界中の赤ちゃんは、民族に関わらず、だいたい440ヘルツの音程で産声をあげるんですって!これは、コンサートで音合わせに使う「ハ調のラ」と同じ音。演奏前には、気温などの環境に音程が左右されにくい木管楽器のオーボエが最初にラを出し、他の楽器がそれに合わせように順に音を出していますね。人生もコンサートも「ラ」の音(国際標準ピッチ)から始まるようです。ほんと、ラララン♪ラララン♪とウキウキスキップできるような人生を送りたいものですね。
 また、太平洋上の島々の農民の中には、作物の収穫を向上させるために、鳥の鳴き声を真似る人々がいるそうですよ。案外、田植え歌なども豊作に本当に効果があるのかも?アマゾンのインディアンは蛇に咬まれた傷に向かって何時間も歌を歌っていた・・という報告もあるそうです。治癒のためのタンパク質を合成する歌だったのでしょうか?昔の人類や、時代に遅れていると思われがちな人々の方が、頭ではなく心で世界をつかみ取り、科学の力を借りずとも、生活に必要なことを自然と為していたのかも?更には、アフリカの民族楽器には、カエルや蝉の声を出せるものもあるとか・・きっと、アフリカの音楽には、自然と交流するために不可欠な要素が含まれているのでしょうね。
 こういう隠された真実を知ると、「音は、この世界に生かされる者たちが互いに交換するプレゼントかも知れない」と思ってしまいます。ならば、ようやく地上に出てきた蝉が、あんなに一生懸命に鳴いて短い命を燃やし尽くすのは、もしかしたら、木々の生長のため?そして私たちの健康のため?自然の恵みに心から感謝です。
 日本の子どもや若者が聞く音楽を何とかしなくては・・と思った今回の学び。いえ、音楽だけでなく、日々子どもにかける言葉や、親や教師の発する思い・・人間の心も常に何らかの音楽を演奏しているのではないでしょうか?願わくば、自分の心が奏でる音が、他の人々の心や身体を癒し、そして、住む町や地球を癒すものでありたいですね。