ねえねえ知ってた? 平成十八年九月

平成18年9月29日(金)

 「サンサンてるよはん、今回は更新が遅いなあ」と思ってらしたでしょ?今週は、お仕事以外に子どもの治療に付き添いしたり、友人とのおデートが続いて、なかなかパソコンに向かえなかったのです。ごめんなさい。えっ?デートの相手は女性に決まってるでしょ。梅田の紀伊國屋書店をブラブラする友人に、岩盤浴メイト・・いろんなお仲間がおりますのよ。年齢を少し感じるようになった昨今。その内、温泉メイトが加わることでしょう。世間では更年期世代ですからねえ。まだ兆候はございませんが、母も姑も更年期症状とは無縁だったとのこと。あわよくば、ワタクシもそうなりますように・・
 さて、今日は、遠藤周作先生のお命日。1996年の9月29日に73才でご帰天。亡くなられる直前、奥様の心には「俺は光の中に入って母や兄と会っているから安心してくれ。」というメッセージが伝わってきたとか。命日とはつゆ知らず・・でしたが、今週は遠藤氏の本を集中して読んでおりました。仏教的な環境の中で育ったワタクシ。若い頃は、狐狸庵先生の名で綴られたユーモアエッセイを読んだくらいで、小説には余り関心がありませんでした。けれども「笑いはなぜ大切か?」にも書きましたが「古今東西の宗教は、心に良いエネルギーが入る思いを奨めてくれていたのだ。それは、人間の心の性質はみんな共通だからなんだ!」と気付いてから、「別に仏教だの、キリスト教だのと、厳密な線引きをしなくても良いのでは?」と考え始めた次第。様々な宗派に分かれた後の教義は、互いに相違点が多いけれど、元をたどれば、同じようなことをおっしゃっていますしね。唯一の事柄をどう表現するかの違いなのでしょう。たとえば、一神教では「創造主が万物を創った」と表現しますが、「金子みすゞ いのちのうた2」P110には日蓮宗のお坊様が
   「世界のものはすべて寿量本仏がおつくりになったものです。」
と書かれています。(この点については仏教各派、解説する仏教者によって実に様々ですが・・そう、ひとつの絵をどう解釈するかの違いに過ぎないのかも知れません。
 ですから最近ワタクシ、クリスチャンの方々のお気持ちもよ〜くわかる気がするのです。美しい花々、虫や鳥の声・・受け止め方が若い頃と随分変わってきました。(でも学生時代に、サギ草を初めて見た時には、ショックを受けましたねえ。しばらく座り込んで動けなかったです。)
 たとえば、家バエじゃなくて、ちっちゃいハエがいますでしょ?あの規則的な羽ばたきを見ていると「こんな精巧なミニミニ飛行機、ノーベル賞科学者でも創れないわ!」と感嘆してしまいます。「ゴキブリは如何に?」ですって?そう言えば高校の頃、眠っている間に髪の毛を食いちぎられるという災難に見舞われましたねえ。(これがホントの髪切り虫!?)う〜ん、まあ、全ての生き物に何か意味があるのでしょう。(ちょっと苦しいですが・・)まだ、その存在を受け入れ難い生き物もいますけれどね。しかし、外見がどのように見えようとも、細胞の中で繰り返される化学反応は整然として、何ら私たちのそれと変わりはしない・・やっぱり「この世界は美しい!」と感動してしまいます。
 ということで、若き日とはまた違った態度で、遠藤周作氏のご著書を始め、キリスト教文学にも触れてみようと思っておりますのよ。遠藤周作氏は、ユング心理学や仏教の勉強もされていたようです。おとといは「人生には何ひとつ無駄なものはない」(遠藤周作 鈴木秀子監修)を読み終えましたが、人間を観る眼差しは、とってもユング的。ワタクシも影の自分を受け入れる勇気をいただきました。「全部ひっくるめて自分なんだ!」と・・そして、昨日からは「女の一生・一部・キクの場合」を読み始めたところです。その内、仏教落語なのか、キリスト教落語なのかわからない変な落語が出来上がるかも?
小説とは、この世界のさまざまな出来事から、宇宙のひそかな声を聞き取ることだ
                         『生き上手 死に上手』より(遠藤周作)

今日は、専門学校の2年生の学生さんたちとは最後の授業。終了後、花束を頂戴してビックリ。皆さんの優しい気持ちにウルウルなりそうでした。どの道に進まれても、幸せな人生を送られますよう、心から祈っています。みんなに出会えて本当にヨカッタ!


平成18年9月23日(

 ホームページを開設して以来、著作権法も勉強しなくては・・と、こちらのページなどを覗いたりしておりました。新聞記事や他人の文章などの全文転載はもちろん禁止されていますが、引用にも随分気を遣わなくてはならないようですね。「引用は従の位置づけ」「引用は数行に止める」「引用したことがわかるように書く」「出典を明記」などなど・・自分のブログに内容を書かずに、その記事が載っている箇所にリンクするのが一番無難ですが、引用された人が訴えない限り、罪にはならないとのこと。この記述に力を得て、今日は、9月21日付けの「茶漬えんま」の引用箇所について追記を・・・落語は演じられた日によっても内容が異なったりいたします。「上方落語・桂枝雀爆笑コレクション5」(ちくま文庫)では、次のような表現になっておりました。
こちらの方が分かり易いかなと、ご紹介を・・引用部分を青色で明示しますね。
ああ、いろいろ気い遣うわあ

▲・・極楽には、自他の区別がありませんでな。こうして、とりあえず分かれたように見えておりますがな、あなたの魂も私の魂もひとつもんじゃで。あなたはあなたのように思っているが、私もあなたなのでありますな。私は私のように思っているが、実は、私自身があなたであると、自他の区別がない。あなたは私、私はあなた・・・

このような難しい概念を落語の中にサラリと盛り込まれる技に感服いたします。
ということで、落語作家として落語界を盛り立てて来られた小佐田定雄先生、ここに引用したからと訴えないでくださいね!ビデオでご覧になりたい方はこちらで・・ワッハ上方のライブラリーでもご覧いただけます。(地域の図書館に置いてある場合もあります。)



平成18年9月21日(木)

 私が訪問させていただいているsumiさんのブログ(9/15付け)に、誕生花の話題が載っていました。今日が誕生日の方なら、誕生花は"葛"で花言葉は"治癒"。他にも、イヌサフランやカンナがあります。このように、誕生花には、数種類の花が割り当てられています。ちなみに、6月29日生まれの私の場合、紫陽花、ジャーマンアイリスに、赤いゼラニウム・・
 皆さまは「自分はどうしてこの誕生日に生まれたんだろう?」と考えられたことはないでしょうか?実は、ワタクシ最初は、自分の誕生日がキライでした。人生は四季・・どなたが言い始めたんでしょう。来し方を振り返りますに、夏生まれの私ですが、最初は秋からのスタートだったかも知れません。そして、冬の20代を経て、ようやく春が巡り来る・・といった感じ。そう、今は初夏に向かう時節なんだ〜と自分では思っています。
 でも、寒さで凍えそうな時には、「だいたいねえ、29日なんかに生まれるから、二重苦の人生なのよ〜〜〜」と弱音を吐くこともありましたが、段々温かくなってくると「なあんだ!ふく(29)の神のような人間になれと言うことなのね!」と解釈も変わってきます。ほんと、人間って勝手なものですね。でも、冬の間に、竹で言えば「節」が出来、足腰が強くなったのだと思うようにしています。それにしては、時折ギックリ腰に見舞われますねえ・・
 さて、誕生日もさることながら、私は誕生花のひとつ「紫陽花」に、大切なことを教えられる気がするのです。あじさいの昔の呼び名は「あずさい」。「あず」とは集まること、「さ」は真、「い」は藍を省略したもので、続けて書くと「集真藍」。つまり、藍色の花が集まって咲く様子を表現した名前だとか。この花を眺めていると、もしかすると、この世界の成り立ちやあるべき姿を示してくれているのでは?と思う時があります。それは、それぞれの小さな花は別個のように見えるけれど、実はひとつに束ねられているから・・そして、それぞれが一斉に花を咲かせている姿に感動を覚えるから・・もし、中のひとつが咲いて枯れたら、次の花が咲く・・という姿では、ちっとも綺麗ではないですよね。「みんな一緒に花咲かそ!」それぞれの花にメッセージが込められている気がするのです。

 木のたとえで説明するなら・・同じ幹から分かれた枝の、それぞれの場所に芽を出した葉っぱ。もし、互いに「私の緑の方がきれいよ。あなたは貧弱な葉っぱね。」などど、けなし合っている木があったらどうでしょう?その側を通ったならば、何とも言えずイヤな気分になることでしょうね。それぞれが、ひとつのお日様、共通の根っこから与えられたものを、分け合って生かされている仲間たち。虫にやられている他の葉っぱや、陰になって弱っている葉っぱを見つけたら、周りのみんなが助けてあげるような・・そんな葉っぱがいっぱい茂っているなら、その木陰でホッと一息つきたくなるのが人情というもの。もちろん、大自然の調和の中では、虫が葉っぱを食べることも許されているのでしょうけれどね。
 この木の姿に、人間の成り立ちを重ね合わせて観てきたのが、宇宙規模の眼差しを持った古今東西の聖人たち。
      人類もまた、大きな一本の木なのだよ。
          元は・・そして今でも『みんなはひとつ』なんだよ。

ということを、いろいろな時代に、様々なところで説いてこられたのでしょう。苦しんでいる人を、自分と別個の存在と思ってはいけない・・互いに思いやり、愛し合わないといけない理由は、ここにあるんだと・・私たちの成り立ちを示して、解き明かしてこられたのだと思います。もちろん、人間だけでなく、生きとし生けるものは全て、大樹に揺れる葉っぱなのでしょう。
他人と見えし自分」多くの人々は考えようともしないけれど、偉人たちは、この哲学的・根源的な命題に挑戦し、数々の教えや著作を遺してこられました。
 実は、落語の中にも、この哲学的・根源的なテーマが登場するんですよ。それは、故・桂枝雀師匠が演じられた創作落語「茶漬えんま」(小佐田定雄・作)という噺。
ところどころ、お釈迦様やイエス様に叱られそうな場面もありますが、話の中ほどの会話を、ここに引用しますと・・
  ▲極楽では「あなた」も「わたし」もないのじゃぞ。あなたから見ると、私は
   あなたじゃが、私から見るとあなたはあなたじゃでな。あなたは私であって、
   あなたである。私は私であって、あなたである。だから、あなたが私の足を
   踏んだといぅのは、私が私の足を踏んだのと変わらぬわけであるし、また、
   あなたがあなたの足を踏んだといぅ言ぃ方もできるのでありますが……、
   分かりますかな?
  ●ちょ、ちょっと分かりにくまんなぁ
  ▲はじめての人は、なかなかこの考えが分かりにくい。早い話が、あなたの頭を
    私が、ゴン!
  ●い、痛ぁ。何しなはんねん、あんた?
  ▲腹を立てるといぅことがおかしい。あなたは私に叩かれたと思っているが、
    それがそぉでない。私にとって私は私、あなたから見ると私はあなたじゃが、
    あなた自身も、私から見るとあなたはあなたじゃでな。
    じゃで、今のも私が私を叩いたのである。言ぃ換えると、あなたがあなたを
    叩いたのであるから、腹を立てることも謝ることもない……。
    お分かりかな?
  ●……、ちょっと、分かりにくい。
禅問答のような会話ですねえ。でも、元々、落語は仏教的世界観をわかりやすく衆生に説いたのが始まり。「全ての存在は、唯一のものが、様々な姿を取っているに過ぎない」ことを、思い起こさせてくれるようなこの対話。落語もなかなか奥が深うございます。
 ということで、秋の夜長に、コオロギの声を聞きながら、こんな思索に耽っておりました。ワタクシも生涯かけて、この命題に挑戦しなくては・・そして、他の星から飛来するお客様に、ホッと一息ついていただけるような地球にしたいものだと思います。

   人はみな 生命の大樹の枝葉なり
                            (山岡荘八「徳川家康」より)

<追記>
そうそう、誕生花の相性占いもあるんですって。気になる方の誕生日をご存じの方は、こちらのHPで占ってみられては?
 本日も、サンサンてるよの長〜いつぶやきにおつき合いくださり、本当に有り難うございました。

平成18年9月18日(月)

 実は、我が家の末っ子坊主、まだひとりでは寝付かれません。そこで、一緒に布団に入り、枕元で音楽や落語のCDをかけながら眠りにつきます。
 最近は、「ドラえもんことわざカルタ」というCDをかけているのですが、傷のためか、ところどころ音飛びがします。大山のぶ代さんの声が「石橋を叩いて渡る」としゃべった途端、これが「石橋を叩いて割る」だったら笑えるのにと布団の中でクスクス。早速翌朝、インターネットで「石橋を叩いて割る」のキーワードで検索すると、出てきましたねえ。ことわざのパロディ。みんな同じようなことを考えて喜んでいるんだ!ここに、いくつかご紹介いたしましょう。



  嫌煙の仲理想的な仲良しフレンドですね
  俺がやらねば誰かやる肩の力が抜けているところが、またステキ
  豚と心中出来たら、合意できる相手とお願いします
  猫にこんばんは(大変礼儀正しい方ですねえ。

<慎重度を比べてみよう>
  石橋を叩いて渡るこちらが、今まで最高に慎重と思われてきたタイプですね
  石橋を叩いてやめる渡る方よりも慎重派かも?でも割ってしまう方よりも、
                  思い切りはいいようで・・

  石橋を叩いて割る一体、渡る気はあるんでしょうか?

<頭の良さを比べてみよう>
  一を聞いて十を知る論語にも出てくる天才ですね。
  いちいち聞いて十を知るこれは普通の方ですね。
  一を聞いて十を聞く一体どの段階で、「知る」ことになるんでしょうか?

<なるほど納得のことわざ>
  備えあれば、うれしいな
  急がば走れ
  叩けよ、さらば叩かれん
  犬も歩けば猫も歩く
  犬も歩けば、足が棒になる
  蛙の子はおたまじゃくし
ここに書ききれなかったものもたくさん。今日はこちらのページでお楽しみくださいませ。台風がひどかった地域の方は、昨日は緊張が続いたことでしょう。今日の不老具がお見舞いになればいいなあと思います。




平成18年9月15日(金)

今日は、思いっ切り力強い「男性原理」の話題を・・相撲のお話です。相撲の歴史は古く、古事記の時代に遡るようですが、今日は硬い話は無しにして、ご一緒に相撲をテーマに頭の体操をいたしましょう!
「ところ天」と「水ようかん」が相撲をしました。さて、どちらが勝ったでしょう?えっ、お互いに滑って相撲にならへんやんか!って?そういう突っ込みは横に置いといて、こちらのヒントを参考にして、「○○○で、●●の勝ち」という具合に答えて下さいね。○○○には、相撲の決め技が入ります。閃きましたか?そうです。このような場合には「押し出して、ところ天の勝ち!」と答えてくださった方を、今日は正解といたしましょう。では、同様にして次の問題に移ります。それぞれの取り組みでは、どちらが勝ったでしょうか?

  1.ライオンとトラ     
  2.硬派と軟派     
  3.方言と暴言
  4.日本料理とフランス料理      
  5.漁師さんとお百姓さん
  6.窓口で支払いと自動振替     
  7.太鼓持と芸者さん

ちなみに、以下のような禁手を用いた場合は反則負けとなるそうです。 
  
1. 握り拳(こぶし)で殴ること。   
2. 頭髪を故意につかむこと。   
3. 目やみぞおちなどの急所を突くこと。   
4. 両耳を同時に両手で張ること。   
5. 前立褌(まえたてみつ)をつかみ、または横から指を入れて引くこと。   
6. ノドをつかむこと。   
7. 胸・腹をつかむこと。   
8.指を1本、乃至2本を折り返すこと。
また、まわしがはずれた場合も負けとなります。

解答は、小さく書いておきますね。
1.「突き落とし」てライオンの勝ち(子を崖から突き落とす)  2.「引っかけ」て、軟派の勝ち
3.「浴びせ倒し」て、暴言の勝ち   4.「突き出し」て、日本料理の勝ち(付き出しかな?)
5.「網打って」、漁師さんの勝ち  6.「引き落とし」て、自動振替の勝ち
7.「褄取って」、芸者さんの勝ち

いかがでしょうか?右脳の刺激になったでしょうか?ライオンは「突き落とし」で勝ちましたが、もし相手のノドに噛みついていたら反則負けになるかも?それにしても、いろんな決め技があるのですね。相撲は「男性原理」ですが、こういう発想は、「女性原理」のひとつである直感力の活用ですね。ちなみに、問題は、相撲の決め技を眺めながら、サンサンてるよが考えたものです。こんな問題も出来たよという方はお知らせくださいね。ということで、脳みそのマッサージでした〜〜〜〜!


平成18年9月11日(月)

 私が「ホスピタリティマインド」なる言葉を意識し始めたのは、ジャジャーン、こちらのHPに出会ってからのこと。母の葬儀をどこに依頼するか調査していた時でした。
それまで「只ただ、相手の方の幸せを思って・・」という言葉で表現していた感情が、「ホスピタリティマインド」という英語に対応すると知った最初だったかも知れません。何となく気になる言葉だなあと思いつつも、お葬式の後のいろいろな仕事に追われ、半年以上が過ぎてしまいました。しかし、運命のいたずらか、久世社長のひと言で、落語会を企画する立場になってしまったのです。(「笑いはなぜ大切か?1.はじめに」をご参照ください)落語は書くばかりで、イベントなど初体験のワタクシ、とっても慌ててしまいました。そこで、葬儀の世界はもちろん、ホテルや飲食・娯楽産業で「究極のサービス」を実践されている方々のお仕事を、本などで学び始めた次第。そして、「ホスピタリティマインド」を本当に発揮するのは、「相手に良かれ」という思いを基礎にして、共感力に専門知識や技術・・つまり、感性と知性を総動員して事に当たらねばならないと痛感致しました。それには、ノーベル賞級の発見に勝るとも劣らない能力の発揮が要求されます。投入されるエネルギーの大きさを思うと、気が遠くなりそうでした。
 さて、こういった方々のお仕事の内容を学ぶ内に気が付いたことがあります。それは、20世紀には、男性は効率優先、結果主義の仕事に邁進し、「ホスピタリティ」は旅館の女将や看護婦さんなど、専ら女性の仕事だと考えられていました。
 けれども、最近の顕著な傾向として、男性が「ホスピタリティ」を全面に打ち出した仕事に従事し、成功を収めておられます。「20世紀は男性原理で動いていたが、これからは女性原理復活の時代」という評論もあちこちで聞かれますが、そのひとつの兆候ではないかと思いました。男性原理とは「知性・論理的・分析」などで表現される人間の特性。対して、女性原理とは「感性、直感的、繊細さ」などのキーワードが当てはまる性質。ホスピタリティのプロは男性であっても、女性特有のものと思われていた細やかさを発揮し、更に、男性原理とのコンビネーションで、その仕事を経営にまで高めておられる・・とでも言えるでしょうか。
 2つの原理の結合は、物語の創作にも当てはまります。直感で得た個々のアイデアを、より伝わりやすいよう、論理的にひとつの筋道に並べてゆく・・古典落語の話の展開なども、実に理に適っているのですが、つまり、女性原理で得たものを、男性原理の働きで完成させてゆくプロセスをたどっているように思います。

 古来より、男性原理や女性原理そのものを物語に表現した作品は数多く創られてきました。力強い英雄(男性原理)が敵を倒し、か弱い姫(女性原理)を助けるストーリーなどは、その典型です。また、古代の宗教は「女性原理(感性や直感、優しさ)」が中心だったが、一神教の時代となり「男性原理(理性や知識、厳格さ)」が優位になったとする考えもあります。宗教が戦争に結びついた遠因ですね。もちろん、マザーテレサの活動のように、女性原理に基づく部分もありますけれど・・
 その分類でいくと仏教は、悟りの深遠さ・緻密さを追い求めるベクトル(男性原理)と、多くの人々に関心を向け、平和を愛するベクトル(女性原理)が、共に備わっているように思えます。衆生救済の精神を広められた文殊菩薩や、1200年以上も前に、悲田院や施薬院を作られ、貧しい人々に尽くされた光明皇后などは、仏教の中の女性原理であり「ホスピタリティの先駆け」と言えるかも知れません。
 更には恋愛に当てはめるなら、こういうことに・・ユングの心理学では、男性の心の中には「内なる女性(アニマ)」が存在しており、女性の心の中にも「内なる男性(アニムス)」があると言われます。元々、人間は両方の性質を併せ持っているのですが、ブレンド比の違いがあり、片方は通常意識されません。けれども、内なる異性に近いイメージの人間が現れると、たちまち恋が始まるそうです。そして、たとえば、企業戦士が恋を通して、無意識下に押し込めていた「たおやかな心」を表面意識に取り戻してゆくケースも恋愛の効用のひとつ。自分の未知なる部分を発見するということでしょう。
 けれども、それぞれに発展段階があって、究極のアニマやアニムスを目指して、現在持っているアニマやアニムスを成長させてゆくとか。なぜなら、どういうアニマ(アニムス)を隠し持っているかが幸不幸を決める場合があるからです。そうやって、人間を進化させる巧妙な仕組みには、本当に舌を巻いてしまいます。
そうそう、最近公開された映画「ゲド戦記」もユング心理学を下敷きにした物語ですね。
 元来、人類が仰ぎ敬ってきた究極の神や仏と呼ばれるご存在は、男性性も女性性も、全ての良き特質を持たれた方・・人間もいろいろな人に出会うことで、時に欠点に気付かされ、時に長所や未知なる部分を引き出され、完成された存在に近づいていくのでしょう。今ようやく、正反合の「合」の時代が到来したような気がします。きっと、私が「ステキだな!」と惹かれるのは、男性であっても、女性であっても、理性や知性に裏付けられた優しさの持ち主、つまり、男性性と女性性のバランスがいい方だからかも知れません。
企業も宗教も文学も然り。これからの時代は、両方の性質を統合し社会に貢献するものが、更に大きな注目を集めてゆくと感じ取っています。そして、家庭の中にも、温かい「ホスピタリティマインド」が行き交う時代になってゆけば、本当に最高ですね。
<実践例>
 外出時、化粧や着替えに手間取る奥さんに声をかける時
    一般のお父さん「何してんねん。早うしてえな。イライラするわ。」
    ホスピタリティ父さん「おい、これ以上綺麗になってどうするんだ!」
            (「ユーモア話術の本」福田健、知的生きかた文庫より)

平成18年9月8日(金)

 私が初めて「コーチング」なる言葉を聞いたのは、大学時代の友人からの電話でした。3児の母であり、また産業医でもある彼女「実は、コーチングの勉強を始めたの。レポート提出のためのクライアントになってくれないかしら?」聞けば、「コーチング」とは、クライアント(顧客)の目標達成のために、一緒に伴走する働きとのこと。
 「マラソン選手を励ますコーチのような存在かな?ついついあっと言う間に1日が終わってしまうので、時々『落語出来た?』と活を入れても〜らおっと!」
と2つ返事でO.K.を・・
でも「コーチング」とは、決して「コーチたら?アーチたら?」と口出しするのではないのですね!(お仕事でお疲れのところ、失礼いたしました・・)「カウンセリング」が助言をする役目だとすると、「コーチング」は、只ただ、相手の言うことを全身全霊で傾聴し(いやあ、嬉しいわあ)、適切な質問をしながら、相手に自発的な気付きが生まれるよう、サポートする役目。(まあ、何て親切なんでしょう!
 1週間に1度、30分ほどの対話を始めて、もう5ヶ月ほど経ったでしょうか?初めは何が何だかわからずにやっていましたが、その内、書店で「コーチング」と名の付く本が気になるように・・部下の育成などに限らず、子どもに対する励まし方にも応用が利くとわかり、私も少し勉強を始めたところ。「ふむふむ、親が先に答えを出さず、子どもの自発的な気付きを促したらいいのね。」
 ご興味のあられる方は、こちらの本をご参照くださいませ。参考HPの内容が長いですので、本文は短く・・ということで、今日はちょっと手を抜いて・・(陰の声・・そうそう、完璧主義はあきまへんで

平成18年9月4日(月)

 昨日、ふとサンテレビを見ておりましたら、この春、大阪中之島に出来た「Agorazion(アゴラシオン)」という手作りの結婚式・披露宴をプロデュースするレストランについて紹介していました。(関西電力の子会社で、HPにはプランナーの紹介に幼少頃の写真が載せてあり、profileをクリックすると、自己紹介が出てくるページも・・)東京のカシータに続け・・みたいな社会現象でしょうか?
 今日はワタクシの結婚披露宴にまつわるお話をいたしましょう。今を遡ること17年前、まだ「手作りの・・」という考えが少数派だった時代です。仕事のない土日、私は披露宴に向けて、数ヶ月前からいろいろと頭を悩ませ始めました。只ただ「来てくださるお客様が退屈されないように・・」という一心で・・そこで、新郎新婦のプロフィールや、友人・知人からのお祝いの言葉をワープロに入力し(イラストも自分で描き)、当日お配りする冊子を創ったり・・宴の中で皆さんに出題するクイズを考えたり・・
 さて、いよいよ当日。受付後、皆様は冊子を読みながら、お待ちいただいていたようです。宴の第1部は形式通りでしたが、第2部は楽しい雰囲気を心がけ、たとえば、クイズの答えは新郎新婦が解説するという方式を採用。皆様が真剣な面もちで、冊子に回答を書き込んでおられる姿を、今でも覚えています。だって、全問正解者は新婚旅行のお供ができます!と司会者が宣言してしまいましたからね。(第2部の司会や、お客様へのインタビュアーは大学時代の友人が引き受けてくれました!あの時は有り難う!)実は、全問正解者が2名おられて青くなりかけました。(^_^;) そうそう、皆様にご覧いただくビデオは、母が編集してくれました。そして、お色直しの合間に、母たち2人が小さい頃からのエピソードをビデオを見ながら解説することに・・お開きとなってお見送りする際の、皆様の反応の方が嬉しくて、後で考えたら、「一体いつ新婦となる喜びを味わったのかなあ?」という感じでしたけれどね。尤もワタクシの場合、お見合いでしたから、順調に前に進むのみだったからかも知れません。でも、山あり谷あり・・多くの障害を乗り越えて「今日の佳き日」を迎えられたカップルにとっては、新郎新婦となる喜びは如何ほどのものでしょう。そういうお気持ちを汲み取って、人生最良の日とするお手伝いができる時、プロデュースする方々もまた、やり甲斐と喜びを感じられることでしょうね。でも、当時の私は、そういうプランナーの存在があるのかないのかさえ知らず、大変な仕事を自分に課してしまったようです。
 ということで、結婚当初から、「ああ、しんどかった!」という感じでしたが、(嫁に出す方も「ああ、大変だった!」と思います。)オシャレも忘れて駆け抜けた16年間の子育てに介護生活、そして数年置きに巡ってくるサポートの仕事・・これまでの労苦にご褒美を頂戴したかのように、今ではゆったりとした幸せな感覚を沸々と心に感じながら、毎日を送っております。
21世紀になって、急にテレビでもスピリチュアルな番組が増えてきて、前世やソウルメイトという言葉が、若者の間で自然と使われているようですね。「彼は前世から縁の深いソウルメイトに違いない!」とかいうように・・マンガの影響もあるのでしょうか。私自身、10代の頃からおつきあいの続く友人、勤務先の顧客として出会った友、子どもを通じて出会ったママたち、そして知り合って間もないのに深い縁を感じる方・・ほとんどが女性の方ですが、不思議な出会いを数多く経験してきたように思います。そして、皆さんが私に重要な気づきや情報を届けて下さっている・・更には、運命の歯車を回して下さる方も・・人生が一回限りなら、全ての人に平等に愛着を感じてもいいはずなのに、やはり特定の人と急速に親しくなるのは、何か深い理由があるような気もしますね。ソウルメイトというのは本当にいるのかも知れないと思う今日この頃です。
 中でも強い強い絆で結ばれているのがツインソウル。「何度生まれ変わっても愛し続ける」ツインソウルのような方に若くして出会えたなら、結婚が最高の喜びとなることでしょう。けれども、ツインソウルは必ずしも結婚相手として現れるとは限らないとか・・同性であれ、異性であれ、仕事上の最高のパートナーとして現れるケースもあるようです。(飯田史彦著「ツインソウル」より)もちろん、百人百様のシナリオがあるのではないでしょうか?どのような関係であるにせよ「この人と出会えて嬉しい〜」という気持ちがずっとずっと続くのでしょうね。幸せになるチャンスは、いつでも用意されている。アインシュタイン博士も言っておられますよ。
***どの年齢にも、それなりに素敵なことがあるものだ***

先月の不老具でご紹介した「鏡の法則」の解説には「人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡。人生で起きることには、ちゃんと意味がある」と書かれていました。一見失敗に思える選択でも、実は自分を知るために、そして成長のために必要なことだったのかも?私自身、「もしかすると、この結婚は間違っていたのでは?」と思ったことも一度や二度では済みません。五度六度、いや、七度八度・・当初は月一で自分の選択を疑っていたかも?(おとうちゃん、ごめんね)けれども、ストレスを通して、夫が自分の知らざる心の傾向性をあぶり出してくれていたことに気付いた時、沸々と感謝の念が込み上げてきましたねえ。本当に「出会う人全てが有り難うの対象」なのでしょう。結婚・非婚・卒婚・・どの選択を採っても、「有り難う」の思いを選んでいる限り、いつでも目には見えない「幸せのプランナー」が応援してくれているような気がしてなりません。

平成18年9月1日(金)

 そろそろ、混成合唱団のメンバーは、蝉から秋の虫にバトンタッチの頃。混成・・と言っても、ほとんどの種でメスは鳴かないので、虫のオスたちが秋の主役ですね。4月14日の不老具では、虫が音を出すからくりをご紹介しましたが、虫の声は強力なアルファ波誘導装置!秋もまた心を静めるには最高の季節です。そう、自然はいつも「心安らかに・・」という優しさを投げかけてくれているのに、それを乱しているのは人間だけかも??ところで、虫の鳴き声にもいろいろあるのですね。

 ひとり鳴き・・仲間からの距離を保つための、声量のある鳴き方。
       (何〜んだ、縄張りを示すためだったのね!
         サービス精神からだと思ってたのに・・) 

 口説き鳴き・・小さい声で、雌に求愛する時の鳴き方。
        (虫ちゃんも、女性にはささやくのねえ。)
 脅し鳴き・・他の雄とのけんかの時などに使う。
        (一寸の虫も芸が細かい!)

また、昆虫は変温動物のため、夕方か深夜か、初秋か晩秋かによっても鳴き方が違うそうです。虫の音ワールドというHPでは、いろいろな虫の鳴き声が楽しめますよ。(鳴き声が収録されている場合のみ、メディアプレーヤーが現れます。

さて、最近ブログを始められたご近所のピアノの先生。毎日読書を欠かさない教養人でありながら、明るく軽いタッチで音楽の神髄を教えてくださいます。
この方のブログに、「バリ島のガムランという民族楽器や雅楽の楽器が、アルファ波を誘導する」というお話が・・その秘密は、耳には聞こえない音にあるようです。人間の可聴範囲は16ヘルツから1万8千ヘルツですが、これらの楽器は2万ヘルツ以上の音も同時に出して、人間に心地よい刺激を与えているとのこと。たとえば、能で使われる能管という笛。(こちらで視聴できます)「ひしぎ」と呼ばれる高い音を出すのですが、この能管の音を聞くと、とても神秘的な気持ちになるそうです。実は、縄文時代から使われていた石笛の音色に似ていて、太古の人たちは宗教的な儀式にこのような笛を吹いていたとか。アルファ波などという言葉がない時代の人たちの方が、生活の知恵があったんですねえ。
 更には、アナログ録音のレコードやテープ。CDは不可聴音域はカットされていますが、LPレコードには全ての音域が入っているので、やはりアルファ波を誘導する作用があります。そっと針をレコードに落として、静かにソファに身を沈める至福のひと時。もう脳からはガーーーッとアルファ波が出て、陶酔の境地なのでしょう。
 ちなみに、コーヒーの香りやアロマオイルを嗅いだ時にもアルファ波は出ます。きっと、お酒やタバコでリラックスしている時にも出ているのでしょうけれど、出来るだけ身体に害のないアルファ波誘導手段を選んでくださいね。(お酒はほど良い量ならO.Kですが、タバコは百害あって一利なしだと思います〜)

9月に入り、秋の風情を・・と思い、背景はお月見にしましたが、今年は10月7日が最も見事な満月に当たります。実は、♪十五夜お月さん♪と歌われる月は、旧暦の8月15日に出る月のことで「中秋の名月」とも呼ばれますが、これは"秋の中頃に出る満月"という意味。旧暦では1月〜3月を春、4月〜6月を夏、7月〜9月を秋、10月〜12月を冬としていました。その計算でゆくと、秋のちょうど真中は8月。そこで、旧暦の8月15日の夜に出る満月を「中秋の名月」と呼ぶそうです。新暦では1ヵ月程度のズレが生じるため、9月7日から10月8日の間に訪れる満月ということになるとか。もう1ヶ月ほどお待ちくださいませ。
 それにしても、月を愛でるのは中国や日本など東洋の習慣で、西洋では満月は人の心を狂わせるものとして、忌み嫌われていたのですね。確かに、出産も増える代わりに、交通事故も増えるという統計があるとか。でもワタクシは、やっぱり月を愛する日本に生まれてヨカッタわあ。(満月がいつかお知りになりたい方は、こちらをどうぞ。9月は8日が満月です。) 




             
BGMの虫の声は「ナツノツヅレサセコオロギ」です。